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2018_10
21
(Sun)00:20

無い光を見つけること

先日、歌舞伎町のロフトプラスワンで催されたトークライブを観覧してきた。

10月8日トークライブ

出版社『創』の企画で、2年前の相模原市障害者殺傷事件について語るという触れ込みであった。
ステージ上のコメンテイター(でいいのかな)たちが司会の意図を汲まないせいで
時間がだいぶ押したし、何より肝心のトークの舵取りが機能不全だったのは如何ともし難い。

様々な職業や社会的立場のコメンテイターが壇上にいたが、
全員が全員「植松氏の考え方は異常」で一致していることに正直目玉が飛び出そうだった。
香山リカ氏が「大人たちが束になってかかっているのに、彼を説得できない」と嘆いておられた。

そりゃそうだろ。

「お前は間違っている、異常だ。だから正しき者である我らがその考えを正してやる」

この出発点がそもそもおかしい。
植松氏じゃなくても「お前は間違ってる」を勝手に前提として話しかけて来るヤツに対して、
誰が「確かに自分は間違ってました」なんて説得されるだろうか?
そこに考えが至らない連中がいくら束になろうが、接見を繰り返そうが、進展など望めない。

僕の立場を思えば、何で植松氏の肩を持つようなこと言ってんだ?と思われそうだけど、
ちょっと待て待て

正しいとか間違ってるとか、異常とか普通とか。
その物差しで彼を、彼の思想を、行動=事件関連を、図ろうとすること自体が間違ってるんじゃないか。
別に僕は植松氏の思想に共感も賛同もしていない。
殺人が罪だということは変わらないし、彼もそこを理解しているからこそ出頭したし、現状も拘置状態なんだし。
でも、それら全ての可視化された物事とは関係なく、彼の思想を根幹までほじくるくらいに知りたい。
異常かどうかなんて僕が判断することじゃないし、前述のコメンテイターみたいに彼を説得したいわけでもない。
傲慢と謗られてもいいから、彼の言葉や思想に「付き合いたい」のだ。

異論反論その他、彼と言葉を尽くして向き合いたい。

植松氏はマスコミ各社宛てに、精力的なまでに自らの意見や思想を文書にして送付しているそうだ。
僕も、このトークライブ中に彼の筆になるアレコレを見聞きさせてもらった(もちろんほんの僅かなものだ)
……これは本当に僕のカンでしかないんだけど
彼は、「見つけてほしい」んじゃないのか?
自分の意見に賛同してくれる誰か、じゃなくて、意見を戦わせたいと望む誰かに。

だからマスコミに文書を送ったり、積極的に接見をしているんじゃなかろうか。
彼は自らの手が届く限界まで腕を伸ばして、信号を発している気がしてならない。
「見つけてほしい」という信号を。
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  • 記録
2018_09
24
(Mon)20:17

言葉の飛距離を伸ばす

こんばんは、まだまだ神様(的存在)からの召還が届かない僕です

2018年7月26日、相模原市やまゆり園での事件から2年経過。
どれだけショッキングなセンセーショナルな内容の報道でも、2年待たずに忘却の彼方
―流行に弱く、古くもないのに忘れ去るのが得意技の、この国ではありふれた話。

特に人々に知らしめたい、などとは思うことなく送ったメールが
とある雑誌に掲載の運びとなって、僕はびっくりした

ちょっと前に発売されたから、書店では書棚からなくなっているだろうけど
ブログURLをふんわりと載せる(僕の文章自体は誌上のみ)

月刊「創」10月号ブログ

どれが僕の書いた文章かは、まあすげー分かりやすいので…笑
投書のひとつとして載せて頂いてるのだが、まさか全文・修正一切なしでゴッツリ来るとは
僕は…びっくりした(2回目)

ああいうものは、出版の常として見栄えよく直しが入れられるもんだと思っていたのだ。
メディア=盛るか削るか厚化粧は必須
つまりはそれほど強くメディアに対して不信と侮蔑があったし、
それがさほど間違いでもない事例ばかり見てきた。

…悪口雑言は置いて、何の間違いか掲載して頂いたことには変わりがなく、
僕の言葉が、思うよりは飛距離を伸ばせたことだし、
言わば補助輪をつけて貰ったようなものだ
そのことに、感謝を。
遺言なんて大げさだけど、公の場所に残す言葉としてはまあまあではないかな。

2018_08
25
(Sat)18:37

誰も言わねえなら僕が言う

こんばんは、神様(的存在)が一刻も早く声かけしてくれないかとジリジリしている僕です
信じてもないくせに何言ってんだという自覚はあるので、そういう意味では神様すいません

もはやこの世界にいる理由が無いし、ここでどれだけ努力したところで自分が認められる可能性も無い
そもそもこの努力は、する価値や意味のあるものか。
――ない 
ありもしない「普通」になれと強いられて、近づこうとする努力を否定され、
「普通」に近づけないことを罵倒され嘲笑される
それが人生だって言うんなら、もう要らねえ、食傷通り越して吐き出したいレベルだ。

この世界じゃ、どう頑張っても自分が生きられる気がしないから、よそ行くわ
「よそに行く」選択の何が禁忌なのか、誰も納得いく説明をできないくせに、
安易に口出しするな。無責任な野次馬どもが。

漫然と、年月だけ重ねて生命活動することが「生きる」定義だった時代は20世紀で終わったんだ。

とは言え、実際「死ににくい」時代ではある。
昔より栄養状態がよくなって、医療も進み、難病を抱えてさえ命を繋げる時代だ。
僕自身、20代後半~30代前半は幾度となくODをやらかして救急車のお世話になったけれど、
(いちどは血液透析も間に合わず、医師から家族に覚悟をと告げられた事もあった)
でも、いまこうして生きているわけだ。
ひとは意外と自力では楽に死ねないことを、僕は身を以て知っている。

今ならあるいは、と思わんでもないが、どうしても頭によぎる一抹の懸念
(また失敗するんじゃないか?)
先述のように、失敗を重ねるほど難度はアップする。周囲の人間も警戒するから。
確実な手段なんて、100%が保証されるはずもない以上、どれも似たり寄ったりだ。

楽になりたい、とネットで発信する人に向けられる「じゃあ何で生きてるの?」
こゆこと言う人に僕は言いたい
「生きるのも死ぬのも大変なんだよ」




  • 記録
2018_08
06
(Mon)17:12

わが家の最終的解決を今考える

2016年初演『わが家の最終的解決』DVDをちょくちょく見返す。
当時はぼんやりとしか見えていなかった、そこに強い嫌悪を覚えてはひとしきり批判的になった

だから見返すたびに苦いものがこみ上げてしまい、
アガリスク(作品、メンバー込み)を嫌いになってしまうんじゃないかと恐れて
「ならば何故嫌悪を抱くのか」を少しづつ言語化していった。

2019年に再演されるとのこと、観に行けるかどうかは明言できないし現時点では観に行く意思は無い
なので、以下はあくまで2016年初演についての個人的な考えであることをご留意願う

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  • 演劇
2018_06
18
(Mon)01:10

花鳥風月はバランサー説

昨日、浅草九劇での『ナイゲン』楽日
冨坂さんをはじめアガリスクメンバーがあちこち別動隊みたいに動いていたのも一段落?
ツイッターの外側から(アカウント不所持)ナイゲン関連の投稿をつまみ読む。

前回の記事ではどうしてもどさまわりにフォーカスが笑
いや、だって、高校時代にどさまわりに実際出会ってたら
間違いなく舎弟になってたはずだ。

どさまわりに共感/共鳴/のち心酔/からの粛清で落命←ここまで一連の流れ
…共産主義デスカ(ガクガク

どさまわりの主張が何でこんなにも異端視されてしまうのか、
他者の賛同を得られないのか
どさまわりを異端視してない(できない)僕なりに脳みそをひねった。

キーマンは、花鳥風月なのか。

1年前のナイゲン経験者として、花鳥風月の存在は大きい。
彼とどさまわりの最大の違いは、
花鳥風月が「勝つことよりも負けないこと」を重視していたことだ。

節電エコアクションという、学校から押しつけられた発表内容
押しつけられた、という事実は置いて
一般公開できないという「敗北」を喫するよりは
発表内容を改造して、やりたいものに変えることで
「学校からの押しつけを受け入れはしたが、全員参加の文化祭であることは死守した」
花鳥風月曰く「誰も損してない」。

どさまわりは、「負けないこと」が大事だなんて当然考えなかった。
自主自立を脅かすものには抗って且つ勝たねばならない、と。
でも、賛同して戦おうという者はいなかった。

花鳥風月は「学校の誰も、反対なんて望んでないんだ。みんなは文化祭がやりたいだけだ」
文化祭がやりたい―これが言わば民意だし、だとすればナイゲンメンバーのやるべきことは、
「文化祭を開催できるように全力を尽くすこと」。
学校と戦うことではない。
少なくとも、あの時点では。

何度でも言うけど、どさまわりの過ちは自分の主張を出す場を間違えたこと。
ナイゲンは文化祭の中身について話し合う場で、
その枠組たる文化祭の在り方について話し合う場ではない。
「在り方」の話をするのなら、生徒会に提議するなどの手段で
それこそ「国府台かくあるべし」を討論する場を作ればよかった。
…実際の国府台高校を全く知らないから、このあたりは憶測から導いた意見だけど。

  • 演劇
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