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2018_08
06
(Mon)17:12

わが家の最終的解決を今考える

2016年初演『わが家の最終的解決』DVDをちょくちょく見返す。
当時はぼんやりとしか見えていなかった、そこに強い嫌悪を覚えてはひとしきり批判的になった

だから見返すたびに苦いものがこみ上げてしまい、
アガリスク(作品、メンバー込み)を嫌いになってしまうんじゃないかと恐れて
「ならば何故嫌悪を抱くのか」を少しづつ言語化していった。

2019年に再演されるとのこと、観に行けるかどうかは明言できないし現時点では観に行く意思は無い
なので、以下はあくまで2016年初演についての個人的な考えであることをご留意願う

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  • 演劇
2018_06
18
(Mon)01:10

花鳥風月はバランサー説

昨日、浅草九劇での『ナイゲン』楽日
冨坂さんをはじめアガリスクメンバーがあちこち別動隊みたいに動いていたのも一段落?
ツイッターの外側から(アカウント不所持)ナイゲン関連の投稿をつまみ読む。

前回の記事ではどうしてもどさまわりにフォーカスが笑
いや、だって、高校時代にどさまわりに実際出会ってたら
間違いなく舎弟になってたはずだ。

どさまわりに共感/共鳴/のち心酔/からの粛清で落命←ここまで一連の流れ
…共産主義デスカ(ガクガク

どさまわりの主張が何でこんなにも異端視されてしまうのか、
他者の賛同を得られないのか
どさまわりを異端視してない(できない)僕なりに脳みそをひねった。

キーマンは、花鳥風月なのか。

1年前のナイゲン経験者として、花鳥風月の存在は大きい。
彼とどさまわりの最大の違いは、
花鳥風月が「勝つことよりも負けないこと」を重視していたことだ。

節電エコアクションという、学校から押しつけられた発表内容
押しつけられた、という事実は置いて
一般公開できないという「敗北」を喫するよりは
発表内容を改造して、やりたいものに変えることで
「学校からの押しつけを受け入れはしたが、全員参加の文化祭であることは死守した」
花鳥風月曰く「誰も損してない」。

どさまわりは、「負けないこと」が大事だなんて当然考えなかった。
自主自立を脅かすものには抗って且つ勝たねばならない、と。
でも、賛同して戦おうという者はいなかった。

花鳥風月は「学校の誰も、反対なんて望んでないんだ。みんなは文化祭がやりたいだけだ」
文化祭がやりたい―これが言わば民意だし、だとすればナイゲンメンバーのやるべきことは、
「文化祭を開催できるように全力を尽くすこと」。
学校と戦うことではない。
少なくとも、あの時点では。

何度でも言うけど、どさまわりの過ちは自分の主張を出す場を間違えたこと。
ナイゲンは文化祭の中身について話し合う場で、
その枠組たる文化祭の在り方について話し合う場ではない。
「在り方」の話をするのなら、生徒会に提議するなどの手段で
それこそ「国府台かくあるべし」を討論する場を作ればよかった。
…実際の国府台高校を全く知らないから、このあたりは憶測から導いた意見だけど。

  • 演劇
2018_06
14
(Thu)01:20

浅草でナイゲン

13日マチネ、浅草九劇にて『ナイゲン』観劇。
津和野諒さんのニューアイスクリースマスが観たくて、
蟄居状態から飛び出した。

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  • 演劇
2018_06
10
(Sun)05:28

作為満載

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180610-00000009-mai-soci

昨夜からニュースを騒がせている、
東海道新幹線の小田原駅付近で発生した事件

次々と続報が流れてくるなか
見出しにどうしても嫌な感じしかしなかった

容疑者が自閉症と言う診断をされた事実と
事件の一連や詳細には
現時点で何も関係が無い
それが解っていてこの見出しにしたのだろうな

ゼロ年代あたりの少年事件にも
こぞって使われた見出しは

「加害者はアスペルガー症候群」

あの時も、あたかもアスペルガー=犯罪者予備軍とでも印象付けしたくてたまらなかったのか、
連日の報道にアスペルガーだ、自閉症だと
無責任に文字が使われた

職場を追われたアスペルガー当事者もいた、
少年事件と1ミリも関係無い人間なのに
同じ障害を持つというだけで
ちなみに、加害者少年の多くは
事件後の精神鑑定で診断されたに過ぎず
つまりは「始まりの障害など誰も知り得ない」
のだ

作為だな、と呆れてしまう
昨今の記者は見出しを作るに際して
特定の属性を持つ者を異端として炙り出すのが使命なのか?
正義(自称)のペンが、無関係の他者を刺すことに、
何の痛痒も無いのか
恥と感じることもないのか。
衆愚に媚びるだけのジャーナリズムか。


  • 記録
2018_06
08
(Fri)00:10

ナイゲンと聞いて振り返る

演劇カテゴリで記事書くのはだいぶ久しぶりですこんばんは

浅草九劇にて、冨坂友さん自身の演出であの『ナイゲン』が上演される
この件で僕はだいぶ暴論をぶちかましたのだが、
当時使った表現で
「誰が演じても同じ」
これに関しては、今はニュアンスがかなり変化している。

誰が演じても同じ、ならば
誰が演じても素晴らしい、そういう作品足り得る
その力を『ナイゲン』は持っているということに他ならない。

もちろん、当時の僕は捨て鉢な意味で上記の言葉を発したのではない
「誰でもいい」訳じゃない、だからこその人選で、その結果の座組だ。
ならば僕はいちファンとして
胃の腑に落とし込むだけだろうって。

ほんとにね、嫌になるよ。
すぐ順応できない、受容できない、些細な変化に過剰反応してアレルギー起こしてる
自分の脳機能を心底恨めしく思う。
これはもー、千葉に向けて懺悔するしかなかろうよ

二度と、観劇はしない(出来ない)と決めて、事実ずっと閉じこもってた
なのにさ、ここに来て、津和野諒さん”アイスクリースマス”代役として登板ですよ!
くっそ、マジでどーすんだ
全部捨てて、隠居決め込んでたのに、

ナイゲン に、つい振り返ってしまった。
――これは最早「魔力」だ。
どんなに喧しい雑踏に紛れても、情報を遮断すべく耳をふさいでも、
聞こえてしまったが最後。

僕のほうが、よほど、卒業できてないってことかもな。
自身は経験できなかった高校時代を、
他者とどうしても共有できずにこじらせた思想を、
生涯抱くことの無いだろう「情熱」を。


  • 演劇