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2019_11
07
(Thu)18:10

他人を正すこと

「宇崎ちゃん」献血ポスター、なぜ議論がこじれるのか

若干古めの記事ではあるが、けっこう丁寧にこの問題のややこしさを解きほぐしているのでリンク。
僕はここまで親切になれない←

正直、ウェブCMやポスターの表現が炎上して謝罪&削除になる流れはもう飽きている。
おおかたの大人も「またか」くらいで気に留めることなく、忘れていく。
個別撃破ってすげえ効率悪いんだよな。小物を叩いてやったやったーって、子供のチャンバラだから。
小物が目につきやすいのと、倒しやすく見えるからつい狙いたくなるんだろうけど、
問題の根幹には全く近づくことがない。

性差別に限らずいろんな種類の偏見や旧態依然の価値観は、そうした「小物叩き」に紛れて生き長らえてきたんだろう。

冒頭の献血ポスターに関して言うと、僕はセクハラか否かという問題のもっと手前で判断を保留していた。
件のキャラクターの絵柄が個人的に好きじゃないのだが、それとセクハラ云々の判断は別問題だからだ。
そしてキャラに関しては「献血を促す為だとしたら、このセリフ回しはOKなのか?」という疑問。
このキャラクターの外見と台詞とで「献血行こう!」と張り切る人間がいるとしたら、それはこの漫画のファン周辺に限られる気がしてならない。
ファンを誘導できればそれで良しなんだったら、目的は達せられるわけで、じゃあ何故燃えるのかと考えたら。
そもそも献血促進が目的である以上、もう少しレンジの広い訴え方ができるキャラと台詞を使うべきだった。
いうなれば「宇崎ちゃん」である必然性はないのだ。

あと発端となった「セクハラ」「性的表現として問題がある」というくだり。
巨乳がどうのこうのと騒ぐ前に、公共の表現とするならば確かに「必要のない性的表現」ではある。
これが実写の女性だったら批判されたんだろうか否か?とも考えると、結局巨乳か否かはもう問題じゃない。
実写だろうがアニメだろうが、女性をあくまで消費対象として表現するルールに従って描かれていることが問題な訳だ。
巨乳じたいが問題じゃない。
「巨乳とは女性を消費財とみなす表現である」ことを無自覚に世界のルールと認定していることが問題なんだ。


巨乳は関係ない。アニメ漫画であることも関係ない。公共性の有無も関係ない。
広報・PRの為に選ぶ宣伝キャラクターとしては不適切であるということだ。
キャラの外見と台詞双方含めて「献血来てください」という意図を伝えるには、刺さる範囲が狭すぎた。
むしろコレで釣れるぜと思ったヤツはどうかしてるし、コレに釣られたヤツは見くびられてると思え。

セクハラか否かは、やはり微妙に判断保留中だ。
どっちかと言うと、まだこんな昭和的手法で客を釣ろうとしてんのかと言う情けなさが先に立つ。
20世紀終わりから偉大な先達が多大な努力を費やしても、いまだこの国の男どもは昭和の病に憑りつかれているのが実情だ。
日本において性差別とは、もはやDNAに刻まれたレベルの根深い病なんだ。

現代社会を生きる男の生きづらさとか知るか。今まで散々好き放題してきたぶんのツケ払えよ。
旧態依然を良しとする日本の老害どもに、こちらが誠心誠意で価値観を正す必要なんか無い。
正すという言葉も微妙だけど、今や世界は新しい価値観で動くものだと彼らに教えることは無意味だ。
どうせ学ぶ気もなく受け入れる気もなく、理不尽にこちらを暴力で抑え込んで悦に入るだけのことだから。
ゴミくず男どもに勉強なんか要らねえ。

一方で偉大な先達は「女の敵は女」という名言を残しておられる。
そうなんだよな。言わば人生が人狼ゲームみたいな世界なんだよな。
…男も女も要らなくね?←
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2019_10
28
(Mon)19:11

改めて認識させられるの巻

週明けですねこんばんは僕です

先週土曜日、護国寺で行われた箱イベント。行きませんでした。
チケット捨てました。仕方ない、問い合わせに返答がないならどうしようもなかった。
個別返信は性質上ないだろう、とは思っていたのでそこは置いて。
何だろうね…芸能人のイベントやるのに公式サイトに注意事項の記載が無いのってさすがに怖いんだが。
同じ会社の別イベントでは公式サイトにきちんと記載されてたのに、扱いの格差よ…大丈夫か(

恐らく、フツーに行けばどうにかなってたとは思うんだ。
でもいざ入口で「入場できません」と弾かれたらどうすればいいんだろう、という不安から自由になれないままだった。
明文化されてないルールのために、自分が弾かれて、それに抗弁できないって、どういう状況なんだよ。

僕が引っかかるのは「自分の発信や行動が他人に認識されない」ことだ。
例えば問い合わせをメールしたり、窓口で質問したり。
言葉で明らかに相手の眼前に提示しているはずなのに、反応が無い。
コミュニケーション不全だとするならどっち側の話なのか(両方かどっちでもないのか)という問題も生じるけれど、
どうやら相手にとって僕の全ては「見えない聞こえない判らない、だから存在しない」であるらしい。
見えない聞こえない判らない=つまり「意味わからない、面倒くさい」だから無視してしまって良し、ということ。

いよいよ”僕だけがいない街”みたいな(アレは時間移動なんだけど

ここに居たくない。この世界は生きる価値が無い。
他人にとって僕は居ないし、僕にとってここは心底居たくない場所だ。


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2019_10
22
(Tue)23:05

自分が知ってればいい…のか

今週末、箱イベント2019が開催される(ようだ)
うっかりチケット取って、日が近づくごとに後悔が喉元にせり上がってくる。
スマホ認証チケットなのでキャンセルもきかず、つまり誰かに席を埋めて貰うこともできない。
マリンさんが当日券に切り替えてくれれば、キャンセル待ち狙いの人に代わってもらえるんだろうけどそれは期待できない…

チケット転売を警戒するのは仕方ないけど、ちゃんとチケット買った人が融通きかない事態に陥る弊害はどうにかならんのか。

そもそも何故チケット買ったかと己にツッコミ続けているのもしんどい。
考え無しに動くもんじゃねえな。
2年前に観劇をやめたのは、人がたくさん集まる場に行くべきじゃないと決めたからだ。
環境や状況に適応できない、盛り上がっている時に上手く合わせられない、変なところで笑って場を乱す…
諸々「状況の空気に合わせられない」己の性質を思えば、何でマジでチケット(机ダンダン

あと、これは生々しく認識せざるを得ない問題w
「若者が多く集まる場で薄汚い老兵が末席を汚すのはダメだ」
これは卑下とかネガティブとかいう問題ではなく、単純な事実の問題だ。
せっかくのイベントの客席、少しでも華やか賑やかに盛り上げてくれる存在がひしめいてる方が映えるし、舞台上の演者もテンション上がるというものだ。
歓声や拍手、コールも同様だ。躍動感や活気に満ちるさまは、到底ロートルが太刀打ちできるものじゃない。
演者的にはステージ上から客席を見るときに、薄汚ねえツラがチラついただけで内心うわーってなるじゃんw

…最後1行はだいぶ蛇足だけどwいいじゃん本音だしw

あとは、まあ、気にしすぎだと思いたいけど疑念を払拭できない問題
「入場拒否られたらどうする」
昨今のアレコレ考えると、あり得ない話じゃないわけで。
安室奈美恵さんのライブでね?本人確認がね?(以下略

せっかく出向いて入口で「入場できません」だと、さすがにダメージ皆無ではないのでな…

そんなことないよって言って欲しい訳じゃないんだ。
ネガティブを拾って欲しい訳じゃないんだ。
僕の発言は卑下でも否定でもなく、どうしようもなく事実なんだということだ。
善悪も好悪も是非も関係なく、単純に事実なんだ。
憂えているのは、その事実を”自分だけが知っている”こと。
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2019_10
17
(Thu)00:46

台風が来て、考える

10月の3連休、関東を直撃した台風。
想像以上の甚大な被害に、僕は凡庸に驚くしかできないでいる。
阪神淡路大震災、東北の震災と地震は一応経験しているが、台風で避難まで考えるところまで行ったのは初めてだ。
そして、「避難」という言葉に僕はひどく狼狽している。

東京に来て20年弱、何度か台風や豪雨による河川の氾濫などの災害に面することはあったが、実際に避難を想定して行動することはなかった。
今回だって、テレビやネットニュースで煽ってるのかと訝しむくらいに警告されているのを「そんなに言われても…」とズレた認識だった。
でも、初めて河川氾濫の警報を耳にして、マンションの住人総出で入口に土嚢を積んだ時。
「あ、これはマジで避難とか自宅の防災をやらなきゃいけないんだ」と実感した。
おぼつかない手つきでベランダの窓を養生し、浸水を防ぐためにビニールを貼り付けた。
念のためにと一時避難所へ向かう荷造りをした。

その時、ふと考えた

「お前、避難所に行くつもりか?」
「まだ生き残ろうとしてんの?」
「つーか、避難所に行って、お前が入れてもらえると何で思った?」
「よしんば入れて貰えても、すぐ追い出されるのに」

当たり前の顔をして、荷造りして、避難所に行くことを想定している自分に、吐き気がした。

生きようなんてまだ思ってんのか?
そして、当たり前みたく避難所に行こうとしてるのおかしいだろ。
入れて貰えるとでも?

――結論から言うと、僕は避難所に行かず台風をやり過ごした。
そして、台東区の避難所でホームレスが断られた旨の記事を見て、得心がいった。
そういうことだよ、と。

台東区はもともとホームレスや困窮者が多い事情もあって、行政が彼らに向ける目がそもそも冷たい。
いつもいつも煩わせやがってという苛立ちが、露骨な排除につながった。
でもこんなのは端緒に過ぎない。
今回ホームレスだったというだけだ。
何かを基準にして「避難所に入れていい/悪い」を決めて良しとするなら、そこにいろんな言葉を代入できる。
生活保護受給者、引きこもり、精神障害者、その他…

避難所という非常時の居場所に最も居て欲しくないものを挙げていけば、おのずと次の標的は見えてくる。

だから僕は「行政の支援」なんてものを無条件に信じてはいけないんだ。
「ただし●●は除く」が行間に存在することを忘れてはだめだ。
僕が入ってもいい避難所なんて無いし、そもそも助かるために行動する選択をするのがおかしい。
自分の不覚悟を強く戒めよう。




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2019_10
10
(Thu)19:20

学校は監獄、社会は地獄

いじめが原因で死ぬ人間が増えていく一方なのに、いじめが犯罪にならない不思議な国。

いじめ自殺した少年事件の先駆けが、東京の中野冨士見町にあった中学でのいじめであろう。
あの事件も昨今のそれと変わらず生徒同士のみならず教員も関わっていたわけで、
もう21世紀なのに根っこの腐り具合は何も変わってないことに言葉も出ない。

ここ数日メディアがはしゃいで報道している神戸市の学校内総動員いじめ事件なんて、見るのも嫌になる。
安全な場所で権力をふるっていられるならば、人はどれだけえげつないことだって出来るのだというクソ汚ねえ生き見本だ。
これが教育の世界だというのなら、子供は今すぐ国外で育てようと強く思うし、何ならそのまま戻らなくていい。
子供にとっては誰かを踏み殺さなければ卒業できない監獄、それが学校。
大人にとっては子供を守り育てる以前に自分が圧殺されかねない地獄、それが教職。
共通するのは、「誰も助けてくれない場所=学校」だ。
学校どころか、社会だって似たようなものだ。

勉学や部活じゃなくて、学校では「転んだら徹底して踏みにじられる。誰も助けてはくれない」日常を知る。
そんな場所で生き抜いたとして、大人になった彼らの認識する世界は、所詮その延長線上にしかない。

教育ってそういうものなのか。
助けを求め、理不尽を訴える者の言葉を無視して状況を放置した挙句に壊れたら部品みたく棄てて
「そんな事実はアリマセン/いじめの認識はアリマセン」を臆面もなく繰り返すのが、教育現場の上層なのか。
涙なんて生理現象だからいくらだって垂れ流せるし、そんな薄汚い液体はしまっとけ。
ずっと安全地帯から高みの見物を決め込んで薄笑いしてたヤツらが泣いてどうしようってんだ。
情状酌量でも乞うつもりならどんだけ浅ましい根性してんだろな。ああ、だから放置してられたのかw

泣く資格があるひとは既に教壇から去ってしまったのに。

僕は小中時代、時代の価値観も重なって手酷い管理教育の坩堝に放り込まれた。
所謂団塊ジュニア世代なら、まあまあ共感を得られるかも知れない。
学校は監獄と前述したが、全くもって比喩でなくそういう世界にいた。
生徒同士だけでなく教員も荒んだ場所で、気に入らなければどこで殴られるか判らないから学校では警戒レベルが常に上限値だった。
幸いにも高校で「学校は監獄とは限らない、教員は人間なんだ」という大発見を得たためどうにか成人に漕ぎつけた。
…それからだいぶ経つのに、いまこの状況は何なんだ。

この国でひとを育てるなんて、もはや絶望でしかない。
生んで育てる行為に散々横やりを刺された挙句にいつどこで殺されるとも知れないのに(教育機関も信用出来ない)。
いじめでぼろぼろにされても殺されても誰も裁かれないなんて、どうかしてるよ。

教育に対する信頼なんてとっくに消えたよ。あるとでも思ってたのか?思い上がりも大概にしろ。
信じてはだめだと学んだよ。あんたらの言動から。
自分の立場可愛さに他人をぼろ雑巾にする、その有りようから。
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