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2019_06
17
(Mon)19:57

『安楽死を遂げるまで』雑感

宮下洋一氏著『安楽死を遂げるまで』を読んだ。
実際に読んだのはもう少し前の話だが、次著もあわせて読もうと思っていたタイミングで
ドキュメンタリー番組が放映された(TV無いから未視聴)のも手伝って、
改めて感想など綴ってみようと珍しく。

ご本人はこんなビン底までエゴサするほど暇じゃなかろうから、
オブラートに包んだ表現などいたしません笑
…俺にオブラートとか歯に衣着せるとか、求めちゃだめだぜ

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  • 記録
2019_06
12
(Wed)21:55

見つけた途端に落ちた

さてと、前回の予告をちゃんと履行しようか(頑張ってる感すげえ

普段の記事がどれをとっても隠遁感があふれているもんだから、
今回のような記事を書こうだなんて一体どうしたんだ、と己にノンストップツッコミ。
世界の外をふらついているくせに、偶然内側で目に留めた人物に好奇心を持って行かれたなんて。

無論、あくまで外にいる者が見とれているということだ。
決して何も分からないし届けることもない、博物館でガラスに守られた展示物を見つめるに似た距離感だ。
誰より自分自身に強く牽制する「思い違いするな」。

キッカケは『進撃の巨人』で、マンガを全く読まなくなっていたにもかかわらずコレには飛びついた。
流れでラジオを知り、更にいろんな繋がりをたどり、最終的にDABAを知った結果、

間島淳司さんにすこーんと落っこちた

うん解るよ、進撃に出演しているのは小野大輔さんだよ知ってるよ
そっからのDABAで、サクラ大戦関係からの菅沼久義さんで、ってな感じで芋づる引っ張り続けて、
驚くべきことに出演作品をどれも見聞きしていなかった間島さんにってヤツだよ

どういうことだよ!俺がいちばんびっくりだよ!!笑

言い訳すると、僕が全くゲームに触れない生き物であることが間島さん出演作を知らないことに拍車をかけたとも言えるのだが、
遅まきながらネットの力を借りて間島さん情報をガンガンボーリングして、ひっくり返しての繰り返し。

そして忘れてならないのは、ブログ「マジP!」。
10年間きっかり綴られた、膨大で緻密な思考の軌跡。
芸事に携わる社会人として、これだけのものを書き記したひとはあまり居ない、いや稀有だろう。
20世紀なら、ここまで書ける力があれば書籍化していただろうから。
現代は諸々あって紙媒体が売れないだけでなく、そもそも文章を読める力が無い人が多すぎて、
ブログ自体もはやオワコンと化している現状だ。
僕がツイッターをやめた理由に
「140文字すら読めない人だらけ」「文章を書いても言葉の海にゴミ同然に流出するだけ」
があるのだが、書き手読み手の関係と読解のズレに致命的な乖離が生じている現代で、
芸能人が時間かけて文章を綴るのは割に合わないサービスでしかない。

2019年4月に、実際、間島さんはブログ更新をやめている。
きっぱりと宣言されているからには、再開の有無関係なく、必要と己で判断するまでは動くことはないのだろう。
僕が間島さんに好ましさを覚えた理由は、実はこのあたりだ。

己の判断基準が明確で、どれだけ求められようと、自分自身でゴーサインを出せないならそこへは進まない。
振れ幅を広く取りながらも、一貫性を失わない。
それが健やかなユーモア精神とリンクして、ブレず媚びずの居ずまいを柔らかく見せる。
所謂「逆らわない、従わない」を面白く見せることに長けている。
間島さんの持つ性質でいちばんの武器は、
役に、作品世界に、集団に、溶けること。

何をしてもしなくても、どこからも逸脱するのがデフォルトの僕からしたら
間島さんの「溶ける力」は神かよとひれ伏すレベルである。
僕にはバランサー属性が皆無ということかー笑
知ってた知ってたあははh(

…そろそろ白状するか、長くなったからな
また次回お会いするぞー!←
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2019_06
11
(Tue)19:04

フィクション値

必要以上の外出を全くしない(ぶっちゃけ通院と郵便局くらいしか用事無い)僕ですこんばんは

生身の人間や、彼らによるエンターテイメント全般に関心を持たなくなって、
そうした人々の居る世界はやたらと遠くなり、TVも観ないものだから彼らの生み出す娯楽も視界に入らない。
今となっては良く劇場―特に都内の小劇場―に足を運べていたもんだと驚く。

アニメや漫画くらいは昔ほどじゃなくてもつまみ食いするが、ゲームは全く触れない世界。
小説や漫画と言った創作物において、所謂「フィクション」が苦手だ。
極端な話、本物/本当じゃないならどうでもいいとまで思っている。
ここまで書き連ねたから、もうお察しだろうが「ファンタジーに近づくほど無理」になる。
そんなこと言ったら創作物全否定かよと突っ込んでくる御仁もいるだろうが、
僕なりの限界点として「SFは好き」を提示しておく笑
…SFは、本当に実行するか否かは別として、いつか実現可能と言えるからだ。
魔法とか妖精とかマジでフィクション値が跳ね上がる…

マンガやアニメは、扱うジャンルの多様化もさることながら、
そもそも平面から立体に変化する時点でフィクション値が爆上がりである。
更に声や音がつくわけで、もはや僕からしたらF on F on Fの無限コンボだ。
フィクションのレイヤーに惑わされて、本物はどれだどこだと、惑う。
虚構というルールのなかで本物がどうこう言うのも変な話ではあるのだが、
きっとそれが苦手ということなんだろう。

虚構というルール上の存在として最も象徴的なのが、アイドルを始めとした芸能界の住人だろう。
TVやネットやライブ、眼前で見ても画面越しに見ても紙にプリントされた平面を見ても、
“どれも本当じゃない”のだ。
いちいち確認したり練習したりしなくても、誰かが求める姿を、当たり前に提供する。
僕みたいな凡骨通り越してポンコツキングからしたら、
この「求められるものを当たり前に提供する」ことがどれほど過酷なことかと怖気づく。
彼らは他人が自分に求めるものを知っているし、次に求められるものが何かを常に探ってもいる。
他人が寄せる期待や予想を上回るか、せめてクリアしないとだめで、悪い意味で「外す」のは社会的に致命傷だ。

無論、彼らは自発的に(そして必要だから)やっていることだ。
僕にしんどそうだなどと言われても返答のしようがないだろう。
そういう意味では、芸能人も相当にフィクション値の高い存在な訳で、僕の関心を惹く要素は少ない。
…はずだったんだが。

前フリが冗長すぎて自分でも呆れるが、ここからが本題。ただし次回に持ち越し笑
くそったれ、僕の好奇心アンテナを根こそぎ持って行かれた―
間島淳司さん、について。
次回だからな!次回!!

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2019_05
30
(Thu)20:49

自分しか居ない「コミュニティ」

"不適性な人"を密かに排除する社会の到来

うわぁ、えげつねーなあ
…というのが最初の感想。

でも言われてみれば、適性検査があるということは逆も当然あるってことだ。
適性があるかどうかを見定めるよりは、適性に欠ける箇所があるかどうかを探す方が楽だ。
「間違い探し」は、得意だろうから。
そしてこの「間違い探し」は、「違うこと=ダメなこと」という暗黙の了解に支配されている。

本記事の冒頭部では、婚活市場におけるえげつないまでの「優位な遺伝子の選別」に言及している。
精子バンクでも似たような「優位な遺伝子リクエスト」がある以上、婚活市場もまたその影響を逃れ得ないだろう。
意地悪なことを言えば、これらは全て優生思想の一端である。
無論、生き物として優れた遺伝子を持つ者をパートナーに求めることは自然なことだ。
その一方で、出生前診断で障害や疾病の可能性を理由にした中絶を非難するのはどういう訳だろう。
命を選んでいるのはお互い様じゃねえのか。
まるで、優れた遺伝子を引き当てられなかった者の「自己責任」とでも言いたげな、矛盾。

閑話休題。
就活における適性検査と、逆から人を篩にかける「不適性検査」の存在。
不適性とはまたすげえネーミングだと半笑いになりながら、人類最後にして最大のリスクが「人間関係」という状況に、更に嗤う。
ヘタに浅知恵が絡み合った結果、リスク回避の方法がひん曲がってきたとしか思えない。
リスクマネジメントの勉強、も少し頑張れよ。マジで。
時代の変化や要請、法整備が進むほどに、それを実際に運用することになる各コミュニティの内部で負担増を厭う力は強くなる。
「手間がかかるヤツは水際で排除しておけ」と言うヤツだ。
異者排除の手口が鎖国政策と大差ないあたり、この国は何も変わってないし変わる気もないんだろう。

例えば今春から有給休暇の取得義務化なんてニュースがネットをざわめかせたが、
企業側も浅知恵だけは回るもんだから、社員側にリスクを負わせる方法ばかり考える。
有給は義務化されるが、そもそも休んでいたら業務が回らなくなるような仕事量の労働者も多数いる。
だったら「有給取れなかったら社員の責任だからペナルティとして給与から日数分の賃金を引く」とか、いくらでもトラップを仕掛けようとするわけで。

リスクは回避したい、他人に配慮する必要がなるべく生じないように要配慮なヤツは門前ではじいておく。
こうしてコミュニティの内側に居る人間は、どんどんコミュニティ構成員の資格要件を厳格化するうちに、減っていく。

――最後に残るのは自分ひとりということに、僅かでも想像を巡らせているだろうか?
篩にかけ、誰かを選び、誰かを選ばないという行為の果てに待つものは、
自分ひとりのコミュニティという矛盾の象徴だ。
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2019_05
19
(Sun)22:54

望まぬ、望まれぬ長居

異国、或いは馴染みのない場所。
自ら望んでそこに滞在していても、いつかは感じるであろう「帰りたい」感情。
居心地がよくない、馴染んだ土地に早く戻りたい、ホームに帰って落ち着きたい――
いずれにしろ、生活の基盤がある土地に戻って日常をまた編んでいかねばならないし、
だからこそ異なる場所を訪ねる意味や価値が更に増す訳だ。
異国とは、たまに訪ねたり滞在したりして、実りを得るための場所だ。
国外でなくとも、この狭い日本にあってさえ、様々な文化や風習、言葉や地域性、気候や風景に溢れている。
数多の違いを楽しみながら、再び自分自身の紐づかれた場所へ帰り、疲れを癒して感じるのは「うちが一番」というヤツだろう。

土地と結びつくこと、他人とつながること、世代や性別を交差しながら時代を構築すること。
現代人は、何かしらに繋がれて「所属している安心・自尊」を感じるものらしい。
社会という大きな場で不安定にならない為には、繋がれている必要があるのだろう。

異国に居る感覚が、日常どころか人生に充満している。
どこに居ようが自分が紐づかれているのは「ここじゃない」のだ。
誰にも伝わらないのは重々承知なので解ってくれとは言わないが、僕の人生に「ホーム」は存在しない。
生きる限り、全ては異国を転々とするのと同義だ。
文化もコミュニケーションも言葉もモラルも価値観も、自分をその枠に合わせようと努力してもどこかが逸脱する。
馴染むことができないから、どこに行っても疎まれ忌避され排除される。
どう努力したとしても最終的には追われる身になると理解してからは、自ら去るようにした。
所謂「余所者」として生きていたが、更には「流浪者」に進化した。
世界の辺境をふらふらすることでようやく生きるだけは認められている、そういう存在。
社会に入って来るなというのが世界の総意だと心得て、土地にも他人にも集団(職場や学校等)にも決して近づかず。

つくづく自分の所属はこの世界じゃない。
言わば望まれてもいないのに長居している迷惑客みたいなものだ。
ややこしいのは、僕もまた望んでいないということだ。
この世界に居たくないのに、何で居るんだと煩悶する僕。
何でコイツ居るんだ、早く出ていけと催促する世界。
世界のどこにも繋がるものが無いとしたら、そりゃあもうまごうかたなきロングフルライフ。
間違いなんだから、修正しようぜ。ライフメーカー。
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