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2019_04
03
(Wed)20:46

ロングフルライフ

生まれてきたこと自体が損害である

障害を負って生まれたこと、望まれない者として生を享けたこと。
生まれてきたことが罪だと裁かれたこと。
罰として「望まれない者」の人生を強制的に負わされること。

僕にとって、まさに生まれてきたこと自体が損害だ。
ロングフルライフ――生まれてこないほうがよかった、と自ら断じる人生が、
地獄以外の何だと言うのだろう。

両親ときょうだいが居る。居た気がするが、彼らにとって僕は居ない存在だ。
僕にとっても同様に。
家を出るまで、僕は家族から毎日ぼろ雑巾みたいに扱われた。
育てづらい子供であることが、親の怒りや苛立ちを日々全身に食らう理由になった。
姉から見た僕は、甘やかされる我儘なガキでしかなく、長女ゆえの制約の報復を僕が引き受けさせられた。

家を出て20年近く経つ。
姉には社会人になったばかりの2人の娘が居るが、2人ともだいぶ歪な精神構造だ。
まあ、あの暴君(=姉)に支配された家庭で育てばさもありなんという感じだ。
家族のなかで起こってしまった「負の遺産の継承」が、僕の存在をまたしても「損害」だと糾弾して来る。
どう足掻いても逃げようもなく「ロングフルライフ」の自分。

僕は3年前に発達障害の診断を受けた。成人を2回迎えて、少しばかり過ぎたところで。
これが意味するところは何なのか。
両親は僕の障害について全く医療機関やその他相談機関に照会しなかった。
知ってか知らずか。
いずれにしろ言えることは、「何も手を打たなかった」ことだ。
何なら僕自身にすら、隠し通そうとしていた可能性がある。
彼らは僕を育てたとは言えない。「死なせなかった」だけだ。

姉は僕より2歳上で、生まれながらの暴君だった。
世の中全てに不満しかなくて、常に苛立ちや怒りで心を煮え返らせては感情を爆弾みたいに投下していた。
主な被弾者は僕で、姉が結婚して子供をもうけてからは、標的が変わっていった。
僕から子供たちへの標的変更は、けれど本質的には「立場の弱い者」と言う意味では変わらなかった。

先日、唐突に連絡が来た。姉の子供2人のうち1人が、発達障害の診断を貰ったとのことだ。
僕は(ですよねー)という静かな納得と、(同じ過ちを繰り返してるんじゃねえよ)と言うやるせなさにふらついた。
それまで全く伝えていなかった自分の障害について、親にメールで告げた。
「俺もASDとADHDだ」
親からのメールには、そのことに触れた文言は無かった。

ですよねー。親ってそういうモンですよねー。
孫が発達障害だと診断されて、それまでの姉夫婦一家との経緯こそあるにせよ、
僕の両親は、子供である僕らへの救済も償いも無視して、孫のフォローをすることで全てを帳消しにしようとしている。

――コレはアレだ、「生まれてきたことが間違い」だから「救済も償いも無くて当然」で、
望まれない者として生まれてきた僕の「自己責任」だという判断でよろしいか?

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2019_03
14
(Thu)21:48

未提出の書類

「災害時要配慮者」名簿作成は9割超も…課題山積

僕の手許にも、上述のような「災害時要支援者」に関する書類がある。
名簿への掲載とは別に、避難支援計画の策定も踏まえたものだ。
でも僕は、提出締切日をだいぶ過ぎたことを知りながらも出さないままだ。
理由は簡潔で、「支援者」を指定できないこと。
自治体の本音で言えば、当然該当者の近隣にいる人を指定して欲しいだろうし、
それは要支援者にとってもそうだろう。
遠方の人をわざわざ指定するメリットを感じないし、相手も困惑する気がする。

僕の話をすると、「支援者」は居ない。
家族友人知人アレコレ、全て居ない。全国探しても居ない。
その点は特筆するまでもない、むしろ通常なので、
書類の肝心なところを埋められない以上、出すのは無理というだけだ。

また、避難支援計画の策定を単独で取り上げた場合も、僕には無理だ。
僕には、避難所へ行くという考えが無いのだ。
要支援者として自治体に情報登録をすれば、福祉避難所へ誘導して貰えるのかも知れないが
実際問題、いざ災害が発生したら混乱の渦中にある人々の中で、
スムーズな誘導などの対応を期待するのもダメだろうと個人的に思っている。
そうなると必然的に一般の避難所へ行くのがファーストチョイスなんだろうが、
………

無 理 だ !

つい赤い文字とかボールドとかかけちゃったけど笑
無理だ!真面目に、無理だ!
まず問題点を。
・外見でどこか不具合がある感じじゃない→中身がすげえポンコツキング
・高齢じゃないなら避難所で少しは役に立てよ→行動もすげえポンコツキング
・非常時の共同生活に耐える能力→非常時とか無関係に全て不能

あまり深刻ぶってもしょうがないという自制からついつい面白おかしく表現しちゃうけど。
こーゆーヤツが避難所に居ることは、ただでさえ非常時の不安定な状況に対して
更にメンドくささや不協和音を齎すことになるんだよ。
現に熊本震災の際には、自閉症のお子さんを持つ家族が避難所に行かず車上生活していたというニュースがあった。
子供でさえ「パニックを起こしたら周囲に迷惑をかける」という判断をされる。しかも、家族自身に。
避難所に行く手前でそのような判断をさせられる現状がある。
まして僕はいい年の大人だ。子供なら仕方ない、という言説は通用するが、大人にはそんなモン無い。

――どのみち居られない場所なのだから、僕は大人である以上『自らの意思で避難しない』を選ぶ。

あとね、避難を要するような大規模災害が発生するなんて、所謂「俺得」なんだよ。
向こう側へ飛べるチャンスだろそんなの。
今度こそしくじるなよ(cv神谷浩史)

2019_03
11
(Mon)21:36

野良犬のプライド

およそ1年前に書いた記事を振り返って、己の立ち位置が不変であると再確認。

2018年4月のとある記事

たった1年だけど、本当に爆発的な勢いで「発達障害」の文字がネットに増殖しまくっている。
まあトレンドワードになったのはもう少し前だけど、ネットで見ない日は皆無に等しい気がする。
当事者による情報発信、行政や民間の支援現場から提議される諸課題。
メディアは就職や社会適応のハウツーに係る玉石混淆なネタを大量生産。
社会派(自称)ジャーナリストが掲げる「発達障害者は犯罪者予備軍」の煽り記事。
ウェブ広告でちょいちょい挟まれる「発達障害の原因は農薬!?」「落ち着きない子供にサプリを!」
…商魂逞し過ぎて、もはやニセ医学や反ワクチンと大差ない。

メディアが大量に吐き出す情報。殺人・傷害事件に障害を直結させる三文記事。
医学と科学に逆行させようと唆すようなニセ系啓発情報。
これだけの情報の濁流を、過たずに泳ぎ切って必要な情報を得ようとするには相当の判断力が不可欠だろう。

かと言って、発達障害の当事者による情報発信が正しさを担保できる訳じゃない。
どうあがいても、所詮は「誰かの個人的な体験から得た自論の集大成」なのだ。
参考にできる部分を自分で選んで摘まむことしかできないし、またその方が使い道としては適切だ。
他人の話であり、それ以前に「人間に関する話」である以上、自分と書き手がぴったり一致するなどあり得ない。
情報を受け取る側は、「見たものが正解とは限らない」と心得ておくべきだ。

情報発信の担い手として精力的に活動している発達障害の当事者にありがちな傾向として
・無自覚に「健常者の作る社会」に迎合している
・なまじ既存の社会に適応できている分、他の発達障害者に対して評価がキツイ
・上述に従い、適応できていない発達障害者への認識が健常者のそれと酷似する
以上の3点が挙げられる。

恐らく大抵の障害においてもあるのだろうが、「同じ障害を持つ者同士の格差」が激しいのだ。
外見で分からない分、発達勢における階級差は「社会に適応できる/できない」に如実にあらわれる。
例えば仕事をしている、SNS等で情報を伝える、TV番組などに出演して当事者の姿を可視化する――。
「社会適応できる」勢は上流階級だし、「社会適応できない」勢は当然底辺の存在だ。

仕事をしている、SNSで情報発信をする等所謂「上流階級の発達勢」を目にするたびに
『上流階級の連中は、結局健常者に尻尾を振ってる犬だな』
と思ってしまう。
僕に言わせれば彼らは健常者の社会に適応できている時点で「ほぼフツー」の存在だ。
そんな上流階級のお貴族様にアレコレ有難いご高説を頂いたところで、
口に合わねえ…という感想が駄々洩れる。
僕は尻尾を振らない人生を欲しているのであって、実際それが可能な状況に居るのだから、
また不要な頑張りで心身ぼろぼろにしてまで「上流階級」にたどり着こうとは思わない。

僕は確かに野良犬だけど、先の短い残り時間だけでもせめて、
誰にも尻尾を振らない、膝を折らない犬として生きる。
でなきゃ、納得して生涯の終わる幕を閉ざすこともできないから。




2019_01
14
(Mon)01:33

不在という自由

自由になるというのは、ひとりになるということだ。
実際に他者を遠ざけるのかどうかは置いて、
己のあらゆる価値観や判断に、他者が全く介在しないことだ。

気遣い、忖度、思いやり、配慮、尊重…
そういった、他者の存在を意識した発想やその方法論を全て己の裡から消し去ること。
煩わしいそれらから、自分を解き放つこと。
「他人のことを考える」という、言わば自分を押し殺す倫理を棄てること。

他者を棄てる。社会を棄てる。
つまり承認と所属の義務を放棄する。
この時点で実は、そこそこの自由を手にしていると言える気がするのだ。
だって、

せいせいしてるから。

何十年も抱えさせられてきたクソ重苦しい荷物を思い切り放り出したんだから、
そりゃ、せいせいするだろうよ。
自分で言うのもなんだけど、排除された側なのに全く悲嘆も無く寂しいとも思わずなので、
(とうの昔にだけど)人間性を棄てたことをいよいよ剥き出しにしてるなあと言わざるを得ない。

ひとを棄て、場を棄てた。
自由まであと少しだ。

進撃の巨人でいちばん思い入れあるキャラがエレンであることからも、
己の人でなしぶりが窺えると感じるこの頃。
てか、エレンがエゴイストだと全く思わない。あの子は自由を求めてるだけだ。
連載当初からその辺は一貫している。
あいつの倫理ヤバいとかエゴイストとか、ままある意見だけど、
それは他人とつながりを持つこと前提の価値観だからそう思えるだけだ。
自由とは、あらゆる他者からさえも「解き放たれる」ものだ。
無論、上述の考えが即ちエレンの価値観ズバリではないけれど、
彼の望む自由にそこそこ近いんじゃないかと思っている。

2019_01
02
(Wed)21:19

言葉を武器に

12月に1度も記事を上げないまま、2019を迎えた
年月の単純な積み重ねに価値など無いのに。
盤面ごと世界を覆す勢いで、ほかの世界が侵略してくりゃいいのにな。
それに乗じてこの世界から出ていきたい。

世界を見限って、他者に何も望まず、自由を得るまでひとりで走る、
この身体が一刻も早く消えてなくなるように。
生きる努力なんてゴミ箱に棄ててしまえ。

生まれた時には人生が終わってた。
家庭も学校も社会も、どこに居ても異端視のち侮蔑か暴力的支配の渦中に放り込まれ、
排除や追放の対象になる以外なかった。
生きてきたというよりは「死ななかった」だけで、
他人にとって僕は「好き勝手殴れるサンドバッグ」という認識だった。
身体的意味でも、精神的意味でも、そして存在自体も。

残念ながら僕の精神は常軌を逸した強靭さで構成されている
何らか謗りの言葉をぶつけられたところで悲しみも無く、落ち込むことも無い。
全ての感情の表出は怒りになる。怒りこそが僕をずっと走らせてきたエネルギーであった。
誰とも共有し得ぬ、もちろん共有する気など無い、僕だけの怒りだから。

全ての他者を振り切って走ること、怒りを糧として。
そのエネルギーが尽きるまで、とにかく早く、他者に気遣って速度を落とすなどせずに。
全部燃やして、身軽になって、向こう側へと壁を越えた時に、
僕の望むものが手に入る。
自由と尊厳が。
望むものを手に入れるのに、命を惜しむ理由なんか無い。

命<<<<<<<<<<<<<<<<<<<自由と尊厳

…誰にとっても「命がいちばん大事」とは限らんよ。