2018_06
18
(Mon)01:10

花鳥風月はバランサー説

昨日、浅草九劇での『ナイゲン』楽日
冨坂さんをはじめアガリスクメンバーがあちこち別動隊みたいに動いていたのも一段落?
ツイッターの外側から(アカウント不所持)ナイゲン関連の投稿をつまみ読む。

前回の記事ではどうしてもどさまわりにフォーカスが笑
いや、だって、高校時代にどさまわりに実際出会ってたら
間違いなく舎弟になってたはずだ。

どさまわりに共感/共鳴/のち心酔/からの粛清で落命←ここまで一連の流れ
…共産主義デスカ(ガクガク

どさまわりの主張が何でこんなにも異端視されてしまうのか、
他者の賛同を得られないのか
どさまわりを異端視してない(できない)僕なりに脳みそをひねった。

キーマンは、花鳥風月なのか。

1年前のナイゲン経験者として、花鳥風月の存在は大きい。
彼とどさまわりの最大の違いは、
花鳥風月が「勝つことよりも負けないこと」を重視していたことだ。

節電エコアクションという、学校から押しつけられた発表内容
押しつけられた、という事実は置いて
一般公開できないという「敗北」を喫するよりは
発表内容を改造して、やりたいものに変えることで
「学校からの押しつけを受け入れはしたが、全員参加の文化祭であることは死守した」
花鳥風月曰く「誰も損してない」。

どさまわりは、「負けないこと」が大事だなんて当然考えなかった。
自主自立を脅かすものには抗って且つ勝たねばならない、と。
でも、賛同して戦おうという者はいなかった。

花鳥風月は「学校の誰も、反対なんて望んでないんだ。みんなは文化祭がやりたいだけだ」
文化祭がやりたい―これが言わば民意だし、だとすればナイゲンメンバーのやるべきことは、
「文化祭を開催できるように全力を尽くすこと」。
学校と戦うことではない。
少なくとも、あの時点では。

何度でも言うけど、どさまわりの過ちは自分の主張を出す場を間違えたこと。
ナイゲンは文化祭の中身について話し合う場で、
その枠組たる文化祭の在り方について話し合う場ではない。
「在り方」の話をするのなら、生徒会に提議するなどの手段で
それこそ「国府台かくあるべし」を討論する場を作ればよかった。
…実際の国府台高校を全く知らないから、このあたりは憶測から導いた意見だけど。

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  • 演劇
2018_06
14
(Thu)01:20

浅草でナイゲン

13日マチネ、浅草九劇にて『ナイゲン』観劇。
津和野諒さんのニューアイスクリースマスが観たくて、
蟄居状態から飛び出した。

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  • 演劇
2018_06
08
(Fri)00:10

ナイゲンと聞いて振り返る

演劇カテゴリで記事書くのはだいぶ久しぶりですこんばんは

浅草九劇にて、冨坂友さん自身の演出であの『ナイゲン』が上演される
この件で僕はだいぶ暴論をぶちかましたのだが、
当時使った表現で
「誰が演じても同じ」
これに関しては、今はニュアンスがかなり変化している。

誰が演じても同じ、ならば
誰が演じても素晴らしい、そういう作品足り得る
その力を『ナイゲン』は持っているということに他ならない。

もちろん、当時の僕は捨て鉢な意味で上記の言葉を発したのではない
「誰でもいい」訳じゃない、だからこその人選で、その結果の座組だ。
ならば僕はいちファンとして
胃の腑に落とし込むだけだろうって。

ほんとにね、嫌になるよ。
すぐ順応できない、受容できない、些細な変化に過剰反応してアレルギー起こしてる
自分の脳機能を心底恨めしく思う。
これはもー、千葉に向けて懺悔するしかなかろうよ

二度と、観劇はしない(出来ない)と決めて、事実ずっと閉じこもってた
なのにさ、ここに来て、津和野諒さん”アイスクリースマス”代役として登板ですよ!
くっそ、マジでどーすんだ
全部捨てて、隠居決め込んでたのに、

ナイゲン に、つい振り返ってしまった。
――これは最早「魔力」だ。
どんなに喧しい雑踏に紛れても、情報を遮断すべく耳をふさいでも、
聞こえてしまったが最後。

僕のほうが、よほど、卒業できてないってことかもな。
自身は経験できなかった高校時代を、
他者とどうしても共有できずにこじらせた思想を、
生涯抱くことの無いだろう「情熱」を。


  • 演劇
2018_03
01
(Thu)01:58

いちゃもんの心理

昨日だいぶずたぼろ雑巾状態で医者に行ったので
その件でちょっと書きたいことはあるけれど、

それ以上に聞き捨てならん(見捨てならん?)ことがあったので
当事者ではないからこその無責任さと
(客観的か否かは別にして)冷静さをもって
僕の所感を記する。

舞台でも小説でも映画でもドラマでも
「見ていない作品」を語る時の人は、
絶対冷静でも客観的でもないし、
己の正義に酔いすぎて、真っ当に語る口を最初から喪失している。

誰のどんな作品かは書かないが(それは本件に無関係だから)
観ていない作品のタイトルがけしからん、と
正しい歴史認識が伝わらない、と
原作者に噛み付いた御仁がいる

観てないのにけしからんもクソもあるか
…というごく基本の前提は、この手の御仁には通じないので置いておく

タイトルに絡む一連の歴史的事象を嘲笑する作劇では無い。
コメディという土台に乗せて、歴史的事象の流れを共有する、
その上で「笑いを産むエンターテイメント」を構築する。

過去の一連は、確かに忌むべき悲劇で、正しいなんて間違っても思うことはない
でも、悲劇から出発するものが『喜劇』であるように作ることで、
「悲劇という事実」と「喜劇という眼前の体験」を作り手と客が分かち合う。
それは祝祭だろうと、思う

タイトルがけしからんから変更しろ、上演中止にしろ、と迫るのは
自分が気に入らないものは他人も気に入らないに決まってる、これは正義だ
だから排除しても構わない

という、他者の思想を否定しようとする暴力の再生産に過ぎない。
それは、かの国が特定の民族を排除しようと企てた、
「」の現代版とも言えるのではないか。

とにかくも、観てない作品にいちゃもんつけた挙句に
原作者(恐らく面識なさそう)に向かってタメ口でキーキー噛み付いている姿は、
誰にとっても滑稽の極みだっただろう。
  • 演劇
2017_11
08
(Wed)01:10

ボトルメールをきみたちに

社会からログアウトするという選択をした。
できる限り、他人や団体、場所、つまりは「社会」に類するものに接触しない。

どうしても書き留めたいことがあった。
ツイッターで投稿するのは避けたかった。
望まない多数の目に触れる投稿のせいで、大切な人たちに無用な面倒が及ぶのは嫌だ。

社会からログアウトすることにした(或いは『なった』)経緯は省く。
ともかくも、ただ生きるだけの、消化試合である以上、
劇場に行くとか、誰かと会うとか、たとえ電脳上であれ会話をするとか、

全部やめるのだ。

心が痛むことがあるとすればいっこだけ
アガリスクエンターテイメントの作品を、ライブ&リアルタイムで観ることはできなくなったこと。

もちろん、かの団体は公演動画を最速でアップロードしているし、DVDも台本も販売している。
ログアウト人間にこれほど優しい演劇団体は、無いと断言していい。
更に言及すると、僕のように障害を抱える者に、「当たり前に」接してくださっている。

劇場の狭い空間は、僕には本当にしんどいのだ。
たくさんの人でひしめく客席、隣席のお客さんと肩や腕が触れるのがつらい。
何より咳がつらい。喘息だったり他の理由で、いつ何時咳き込むか自分でも判らず、
いったん発作が出ると恐ろしくえげつない咳き込みなのだ。
映画館で聞くような、可愛いものじゃない。
自分自身そんな音を聞かせたくないし、他人は当然聞きたくないだろう。
僕ができることは、アガリスク独自の「非推奨席」を選んで着席することだった。

本来なら当日券や遅れてくるお客さんの為の席だ、解っている
でも発作が起きたら即時退出できるほうがうるさくない。みんな快適に観劇を続けられる。

アガリスクの制作さんに勇気を出して連絡したら、非推奨席の使用を許可くださった。
あの時、ほんとうに久しぶりに、楽しんでいられた。
感謝でいっぱいだ。

でもいつまでも甘えてはいられないし、客として来場する以外に何か還元できることが無い。
勧める相手も、一緒に観劇する知人も、居ない人間だ。

今後の観劇をあきらめるに至った最大の理由は、僕がファンでいて良いと思えないから。
「自分の応援など価値がない、届いても不快になるだけ」という気持ち。
座席についても、面倒な配慮を必要とする人間だ。
そして配慮を要する人間がファンとして居ることが、団体のためにならないからだ。
僕が自分の特性をネット上で公開している以上、それは知ろうと思えば知れてしまう。
「ファンにそんな面倒な人がいるとか、団体が気の毒」
団体がそんなこと言われるくらいなら、
僕が離れる。
文句なら僕に直で言え。

この文章を何でウェブの海にボトルメールよろしく流すのかなんて、もう考えることじゃなくて、
たとえ誰かの目に触れても、そのひとは、きっと沈黙してくれる
僕の大切な団体の、大切な人たちが、そうであるように。

願わくば、あなたたちの速度が鈍らないように、
もっと速くなりますように。






  • 演劇
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