FC2ブログ
2018_02
24
(Sat)22:29

不要品なのに居なきゃいけない

社会ログアウト野郎ですこんばんは
紛うことなきニートですこんばんは

日々 どこか別の場所に行けるドアが無いものかと考える。
ほかの土地だの、異国だのなんていうレベルではなくて
「別の平行宇宙」くらいに、違う場所に行きたい。

僕がここに居る理由が無い。
この世界(社会やらなんやら)も、別に僕が居ることを求めていない。
僕は、ティーカップに添えられた角砂糖だ。

昭和世代なら、喫茶店で頼んだ紅茶やコーヒーに、角砂糖が1個添えられていたのを
記憶しているかも知れない。
いまどき、飲み物に角砂糖がついてくることはあまりない。
あったとして、「あら懐かしい、レトロ」くらいのものだ。

今や角砂糖は不要なのだ。
砂糖を入れない人もいるし、角砂糖だと分量の微調整が難しいから
添えたところで敬遠されるのがオチだ。
使われないまま厨房に戻された角砂糖の行く末は、廃棄。

不要なんだから僕も廃棄してくれよ、と思うのに
世界は居ることを強要する。
居ることなど誰も望んでない。使いどころもない。
世界の、社会の「風景」を適当に飾るように、角砂糖として置かれたまま放置される。

僕は曲がりなりにも身体は人間のそれだ、砂糖のかたまりじゃない。
維持管理にもそれなりコストがかかる、厄介な肉塊だ。
でも、世界の誰ひとりとして、このコストに見合うものを僕にくれることはない
生まれてからずっと、この身体が朽ちても、何も与えられることはない。

居ることを強要するんなら、維持管理費くらいは、
対価として払ってくれよ。
「世界に居る義務」は、角砂糖には過ぎた負荷だ。




スポンサーサイト
  • 記録
2018_02
23
(Fri)01:11

キープ力

仕事、人間関係、所属(趣味など含め)、

まともに続いたことが無い

つい最近までの懊悩の種は主に「仕事が続かない」だった
原因を考えても、どうしても「自分が職場や仕事の人間関係に対して難アリだから」
としか考えられず
思いつく改善策は「仕事で迷惑かけないように努力する、必要なスキルを習得する」くらいで
要は

『自分が頑張って役に立てれば、仕事で問題が発生するのを多少は防げるのでは』

こんな甘い希望(に似た何か)にしがみついてた訳だ。
どの職場でも、それが達成できた経験が無いのに。

仕事を辞め、社会からはみ出している今、
次第に「続かない原因は違うんじゃないか」と考えるようになった

全く見当違いではないが、根本にある何かが社会生活上の困難に全部繋がるような、
今まで想像していなかった新しいものがあるような。

かくして結論が出る
「キープ力が無いのだ」

人間関係も仕事も趣味の集まりも、ふとしたキッカケでサクッと離れてしまう
離れるからと言って、別段、寂しさも孤独も、つらさも、痛みも感じない
手続きでもするような、淡々とした流れで『ほどく』

キープ力が無い。だけにとどまらず、土台を作ることも知らない。
キホンのキ、さえ、僕は全く知らない。
幼稚園や学校で『ともだち』を作る。つながった『ともだち』を離さぬよう離されぬよう、繋ぎ続ける。
ケンカや仲違いが生じたらちゃんと対応する。話し合う。
そういう当たり前に誰もが獲得してきたものを学ぶこともなく、
どこかで知識を得ることもなく、成人し、社会へ出て行った。

そんなヤツが上手く立ち回れる筈がない。
仕事も趣味も、あらゆるコミュニケーションには他者が必要で、
他者とはつまり人間で
彼らとちゃんと向き合う方法も知らない、トラブル時に関係修復を図ることもしない

他者から見れば「キープしようという努力が見られない」
僕から言わせれば「キープ不能、その手前の構築も不能」

そりゃ、かみあわんな。



  • 記録
2018_02
14
(Wed)00:49

物は壊れる、人は別れる

ツイッターアカウント削除後、マジで楽ですよ
スマホ見る時間が激減、リアルならずとも限りなくリアルの至近にある電子の空間で
いかに自分が摩耗していたかを思い知った

情報収集は確かに大切で、無関心は罪であるとは思うけど、
自分を意味なく損なうような情報からは、とりあえずでもいいから距離を置くかハナから探索しない

世間の情報や時事を見ないことは悪ではない。
自分を壊してまで取り入れる価値があるか否か、その物差しでまず判断するべきだ
有害な情報から遠ざかることを『逃げ』と謗る人もいるだろうが、
「いま、どうしても見なければいけない」ものなど、そうそう無い
自分を守る力あってこその情報収集であって、情報で心身を損なってしまったら本末転倒だ。

てなわけで
文字通りの隠遁生活が度合いを深めている僕だが
他人が日常に介入してこないことの安泰をかみしめている。

僕は友人と呼び得る人を持たない人生で、団体や職場など所属に対する希求心が無い
飲食物にも関心が薄い。
特段、淡白な性質でもないが、他人の目に映る僕は、間違いなく人でなしだ。

どれだけ大切にしているモノも、互いに思いあう仲の人間でも、
いつかは別れが来る。物は壊れる、人は別れる。
特に、ひとに関して言うならば
喧嘩とか争いの果てに別離を迎えるとは限らない。
転校や転居、遠距離恋愛、進学や転職、些細な分岐が互いの距離を広げていくことも多々ある。
しがみつくことが常に正解とは、言えない。

僕の場合、執着の無さに加えて
そもそも人間関係を作る、維持する方法を学べなかった。
大抵は幼稚園から学校教育の過程で学び、自分なりのノウハウを構築するのだろうが
転校や転居ばかりの人生、どこで学ぶこともままならず、
今に至る。
それはまた別の話。
  • 記録
2018_02
02
(Fri)12:16

社会ログアウト第二弾

うっかりまた歳を重ね(誕生日はともかく年齢を失念すること多々
さっくりツイッターアカウントを削除

様子見してから消した感想は述べようと思うが、現時点では

不要な情報の海からログアウトばんざい

今までツイッターのためにすげえたくさんの時間をスマホテレテレに費やしていた
というのが実感
あの人のツイート見たいなー、なんて思ってもアカウントやら覚えてないと検索の手も鈍る訳で
必然的に「アカウント探してでも見たいツイート以外は自分にとって価値がない」
に行き着くのは必定

他人のツイートをディスってばっかじゃねーか
…そうですね、自分自身のツイートについても

ツイログに残ってる自分の最終ツイートあたりを見ると解るのだが
『届かない言葉を吐き出しても棄ててるのと一緒だ』
みたいな趣旨のツイートをしている

ツイッターという言葉の海に日々綴る言葉、
自分は捨てたい訳じゃないんだ
海に流れたものを再度拾い上げるなんて無理だし
拾われることもなく沈むのがオチだ

自分は言葉だけを偏愛していて、自分の作った理屈だけを信じている
ブログにきちんと積み上げて、自分キングダムにしておこう
誰かが見なくたって全然構わない
子供がレゴブロックを組むように、僕も言葉を組む

ブログがオワコンでヨカタネ
  • 記録