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2018_08
25
(Sat)18:37

誰も言わねえなら僕が言う

こんばんは、神様(的存在)が一刻も早く声かけしてくれないかとジリジリしている僕です
信じてもないくせに何言ってんだという自覚はあるので、そういう意味では神様すいません

もはやこの世界にいる理由が無いし、ここでどれだけ努力したところで自分が認められる可能性も無い
そもそもこの努力は、する価値や意味のあるものか。
――ない 
ありもしない「普通」になれと強いられて、近づこうとする努力を否定され、
「普通」に近づけないことを罵倒され嘲笑される
それが人生だって言うんなら、もう要らねえ、食傷通り越して吐き出したいレベルだ。

この世界じゃ、どう頑張っても自分が生きられる気がしないから、よそ行くわ
「よそに行く」選択の何が禁忌なのか、誰も納得いく説明をできないくせに、
安易に口出しするな。無責任な野次馬どもが。

漫然と、年月だけ重ねて生命活動することが「生きる」定義だった時代は20世紀で終わったんだ。

とは言え、実際「死ににくい」時代ではある。
昔より栄養状態がよくなって、医療も進み、難病を抱えてさえ命を繋げる時代だ。
僕自身、20代後半~30代前半は幾度となくODをやらかして救急車のお世話になったけれど、
(いちどは血液透析も間に合わず、医師から家族に覚悟をと告げられた事もあった)
でも、いまこうして生きているわけだ。
ひとは意外と自力では楽に死ねないことを、僕は身を以て知っている。

今ならあるいは、と思わんでもないが、どうしても頭によぎる一抹の懸念
(また失敗するんじゃないか?)
先述のように、失敗を重ねるほど難度はアップする。周囲の人間も警戒するから。
確実な手段なんて、100%が保証されるはずもない以上、どれも似たり寄ったりだ。

楽になりたい、とネットで発信する人に向けられる「じゃあ何で生きてるの?」
こゆこと言う人に僕は言いたい
「生きるのも死ぬのも大変なんだよ」




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  • 記録
2018_08
06
(Mon)17:12

わが家の最終的解決を今考える

2016年初演『わが家の最終的解決』DVDをちょくちょく見返す。
当時はぼんやりとしか見えていなかった、そこに強い嫌悪を覚えてはひとしきり批判的になった

だから見返すたびに苦いものがこみ上げてしまい、
アガリスク(作品、メンバー込み)を嫌いになってしまうんじゃないかと恐れて
「ならば何故嫌悪を抱くのか」を少しづつ言語化していった。

2019年に再演されるとのこと、観に行けるかどうかは明言できないし現時点では観に行く意思は無い
なので、以下はあくまで2016年初演についての個人的な考えであることをご留意願う

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  • 演劇
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