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2019_02
22
(Fri)23:18

『天気予報を見ない派』―どうでもいい人

AFTER塩原JUNCTIONにて上演された3作品のうち、
やたら執拗に語ってしまうのが『天気予報を見ない派』である。
核心に触れさせようとしない、それでいて気にしている何かを知りたくて、
好奇心に抗えずに思わせぶりな言動で惑わせる。
そういうひとが、僕はイライラオブイライラなんだけど笑

関心を持っている誰かが居て、でも拒まれるのが怖いから踏み込めない。
ギリギリの距離を保ちながら、どうしても足が止まってしまう。
相手から踏み込んで来てくれたら楽なのに。
なんて勝手な願望をうっすら抱くくせに、自分自身は怯懦から目を背けている。

何だろね、アドラー先生じゃないけど”嫌われる勇気”が無さすぎるのはかえって自分を狭い場所へ追い込むだけだよ?
嫌われるという表現がキッツイからピンと来ないかも知れないけど、
他人から受容されない/意見が合わない/馬が合わない
…この程度の「他人からの拒否」なんざ、日常に溢れかえってる訳で。
大丈夫だよ、他人から拒否された「だけ」だ。否定はされてないから。
それに自覚してないだろうけど、誰かに関心を抱くことは、
つまるところ「どうでもいい人」のことを日常レベルで拒否しているんだよ?
嫌われる勇気も無いのに、どうでもいい人を無自覚に弾き出しているんだから、言い訳の余地ねえぞ。

…ここまで書いて思ってしまった「コレはいったい誰への言葉だ」
木下も祐介も、ひどく臆病で、相手に踏み込めない小心ぶりを、優しさのコーティングでごまかす。
踏み込んで、相手にも自分にも何かしらの痕跡が残せなきゃ、そもそも好きにも嫌いにもなれないのに。
本当に認められなかったのは、互いの臆病さではなくて、
実は「双方にとってどうでもいい相手だった」だとしたら、確かにそれはしんどいな。


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  • 演劇
2019_02
20
(Wed)22:31

いざさらば―『after塩原junction』

after塩原junction公式サイト
2月19日、イズモギャラリーにて。
アガリスクエンターテイメント(休団中)塩原俊之さんの単独興行『AFTER塩原JUNCTION』千秋楽観劇。
塩原さんというと、個人的印象として「アガリスクの長兄」「みんなのお兄ちゃん」感が強い。
干支が1周するくらい年齢差がある僕が塩原さんを「お兄ちゃん」と例えるのは変なんだけど。
例えば兄弟が「お兄ちゃん」にどれだけギリギリまで追い込まれても、困惑やら翻弄やらで振り回されても、
最後の最後は後ろに居てくれるだろうと感じるような、そういう確信を抱けるような。
つまり「後ろで見ててやるからちゃんと戦えよ」と声かけしてくれる「お兄ちゃん」。
言葉と理屈で断崖の縁ギリギリを攻めていくし、フットワーク軽いし
エクストリームとアルティメットを併せのみながら奔放に駆けていくけれど、
それはたぶん心の奥底に盤石たり得る部分が強く在るからだと思っている。
不安定なだけだったら、自由奔放に動くことなど叶わない。

――無論これは個人の勝手な想像に過ぎない。偶像を押しつける意図はないけどそう思われても仕方ない。
この記事がご本人の目に触れるか否かは知らないが、
直接申し上げることは無いのでご容赦頂けたらと、これまた勝手に願っている。

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  • 演劇
2019_02
17
(Sun)21:41

ディストピアと対峙する

頑迷と非寛容を両輪として破滅へと邁進する世界が眼前に在る。
渦中でもまれている人間はどうだか知らないが、
僕みたいに世界から外れていると、暴走ぶりがよく見える。
神ならぬ身ゆえ、高みから見下ろすことはできないが、
それにしたってとんでもねえディストピアが現実になったものだと嘆息せざるを得ない。

事実は小説より奇なり、のはずだけど。
どっちかと言うと虚構が現実世界に侵略してきた結果にも思える。
つまりそれだけ現実世界のエグさが陳腐なんだろう。

こんな世界を目の当たりにした時、良識ある人は警世の言論を世に放つのだろう。
昔と違って個人が発信する手段は豊富で、発信へのハードルもだいぶ低い。
発信後のリアクションはともかく「言葉を外部に発信する」自由はまだ辛うじて僕らの手にある。

警世なんて大それた志なんぞ全く持ち合わせが無い、発信にもさして乗り気でない。
自身のこうした姿勢について、じっさい異論を己の裡に抱えてはいる。
――反対意見や不満、告発は、結局発信しなければ誰にも知られないものだ。
つまり『無い』と同義である。
――更に言うなら、僕がいくらこの場所で理屈を吐いたところで発信しなければ、
知られない以上『多数派に賛同している』のと同義である。

つまり、言葉を武器にするならば『発信する』のが筋である。

でもさ。現実でディストピアと対峙するにあたって、『抗う』手段はそれだけか?
何らか発信するという抗い方もあるよ、むろん。
とても真っ当で、分かりやすい正義の表明だ。
言葉でも、武力でも。それらの行使の是非は、後で分かることだ。

――僕の選んだ抗い方は、『世界に背を向ける』だ。
当初は世界から強制パージされた感があったけど、
渦中から放り出されて、世界の境界線から外れて眺めた景色は、
自分の中で必死に守っていた幻想が掻き消えるレベルの凄絶さだった。
(この世界に居たらダメだ)と確信するに十分な。

ディストピアを破壊して自由を得ようとする者、
無為に飲まれて消えゆく者、
僕はさしずめ、ディストピアに背を向けて「自分の世界」を探す者。

守る価値の無い世界は、棄てていいんだ。
自分が受容し得て初めて、世界は僕の認識するものとなる。




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