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2019_02
17
(Sun)21:41

ディストピアと対峙する

頑迷と非寛容を両輪として破滅へと邁進する世界が眼前に在る。
渦中でもまれている人間はどうだか知らないが、
僕みたいに世界から外れていると、暴走ぶりがよく見える。
神ならぬ身ゆえ、高みから見下ろすことはできないが、
それにしたってとんでもねえディストピアが現実になったものだと嘆息せざるを得ない。

事実は小説より奇なり、のはずだけど。
どっちかと言うと虚構が現実世界に侵略してきた結果にも思える。
つまりそれだけ現実世界のエグさが陳腐なんだろう。

こんな世界を目の当たりにした時、良識ある人は警世の言論を世に放つのだろう。
昔と違って個人が発信する手段は豊富で、発信へのハードルもだいぶ低い。
発信後のリアクションはともかく「言葉を外部に発信する」自由はまだ辛うじて僕らの手にある。

警世なんて大それた志なんぞ全く持ち合わせが無い、発信にもさして乗り気でない。
自身のこうした姿勢について、じっさい異論を己の裡に抱えてはいる。
――反対意見や不満、告発は、結局発信しなければ誰にも知られないものだ。
つまり『無い』と同義である。
――更に言うなら、僕がいくらこの場所で理屈を吐いたところで発信しなければ、
知られない以上『多数派に賛同している』のと同義である。

つまり、言葉を武器にするならば『発信する』のが筋である。

でもさ。現実でディストピアと対峙するにあたって、『抗う』手段はそれだけか?
何らか発信するという抗い方もあるよ、むろん。
とても真っ当で、分かりやすい正義の表明だ。
言葉でも、武力でも。それらの行使の是非は、後で分かることだ。

――僕の選んだ抗い方は、『世界に背を向ける』だ。
当初は世界から強制パージされた感があったけど、
渦中から放り出されて、世界の境界線から外れて眺めた景色は、
自分の中で必死に守っていた幻想が掻き消えるレベルの凄絶さだった。
(この世界に居たらダメだ)と確信するに十分な。

ディストピアを破壊して自由を得ようとする者、
無為に飲まれて消えゆく者、
僕はさしずめ、ディストピアに背を向けて「自分の世界」を探す者。

守る価値の無い世界は、棄てていいんだ。
自分が受容し得て初めて、世界は僕の認識するものとなる。




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