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2019_03
14
(Thu)21:48

未提出の書類

「災害時要配慮者」名簿作成は9割超も…課題山積

僕の手許にも、上述のような「災害時要支援者」に関する書類がある。
名簿への掲載とは別に、避難支援計画の策定も踏まえたものだ。
でも僕は、提出締切日をだいぶ過ぎたことを知りながらも出さないままだ。
理由は簡潔で、「支援者」を指定できないこと。
自治体の本音で言えば、当然該当者の近隣にいる人を指定して欲しいだろうし、
それは要支援者にとってもそうだろう。
遠方の人をわざわざ指定するメリットを感じないし、相手も困惑する気がする。

僕の話をすると、「支援者」は居ない。
家族友人知人アレコレ、全て居ない。全国探しても居ない。
その点は特筆するまでもない、むしろ通常なので、
書類の肝心なところを埋められない以上、出すのは無理というだけだ。

また、避難支援計画の策定を単独で取り上げた場合も、僕には無理だ。
僕には、避難所へ行くという考えが無いのだ。
要支援者として自治体に情報登録をすれば、福祉避難所へ誘導して貰えるのかも知れないが
実際問題、いざ災害が発生したら混乱の渦中にある人々の中で、
スムーズな誘導などの対応を期待するのもダメだろうと個人的に思っている。
そうなると必然的に一般の避難所へ行くのがファーストチョイスなんだろうが、
………

無 理 だ !

つい赤い文字とかボールドとかかけちゃったけど笑
無理だ!真面目に、無理だ!
まず問題点を。
・外見でどこか不具合がある感じじゃない→中身がすげえポンコツキング
・高齢じゃないなら避難所で少しは役に立てよ→行動もすげえポンコツキング
・非常時の共同生活に耐える能力→非常時とか無関係に全て不能

あまり深刻ぶってもしょうがないという自制からついつい面白おかしく表現しちゃうけど。
こーゆーヤツが避難所に居ることは、ただでさえ非常時の不安定な状況に対して
更にメンドくささや不協和音を齎すことになるんだよ。
現に熊本震災の際には、自閉症のお子さんを持つ家族が避難所に行かず車上生活していたというニュースがあった。
子供でさえ「パニックを起こしたら周囲に迷惑をかける」という判断をされる。しかも、家族自身に。
避難所に行く手前でそのような判断をさせられる現状がある。
まして僕はいい年の大人だ。子供なら仕方ない、という言説は通用するが、大人にはそんなモン無い。

――どのみち居られない場所なのだから、僕は大人である以上『自らの意思で避難しない』を選ぶ。

あとね、避難を要するような大規模災害が発生するなんて、所謂「俺得」なんだよ。
向こう側へ飛べるチャンスだろそんなの。
今度こそしくじるなよ(cv神谷浩史)

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2019_03
11
(Mon)21:36

野良犬のプライド

およそ1年前に書いた記事を振り返って、己の立ち位置が不変であると再確認。

2018年4月のとある記事

たった1年だけど、本当に爆発的な勢いで「発達障害」の文字がネットに増殖しまくっている。
まあトレンドワードになったのはもう少し前だけど、ネットで見ない日は皆無に等しい気がする。
当事者による情報発信、行政や民間の支援現場から提議される諸課題。
メディアは就職や社会適応のハウツーに係る玉石混淆なネタを大量生産。
社会派(自称)ジャーナリストが掲げる「発達障害者は犯罪者予備軍」の煽り記事。
ウェブ広告でちょいちょい挟まれる「発達障害の原因は農薬!?」「落ち着きない子供にサプリを!」
…商魂逞し過ぎて、もはやニセ医学や反ワクチンと大差ない。

メディアが大量に吐き出す情報。殺人・傷害事件に障害を直結させる三文記事。
医学と科学に逆行させようと唆すようなニセ系啓発情報。
これだけの情報の濁流を、過たずに泳ぎ切って必要な情報を得ようとするには相当の判断力が不可欠だろう。

かと言って、発達障害の当事者による情報発信が正しさを担保できる訳じゃない。
どうあがいても、所詮は「誰かの個人的な体験から得た自論の集大成」なのだ。
参考にできる部分を自分で選んで摘まむことしかできないし、またその方が使い道としては適切だ。
他人の話であり、それ以前に「人間に関する話」である以上、自分と書き手がぴったり一致するなどあり得ない。
情報を受け取る側は、「見たものが正解とは限らない」と心得ておくべきだ。

情報発信の担い手として精力的に活動している発達障害の当事者にありがちな傾向として
・無自覚に「健常者の作る社会」に迎合している
・なまじ既存の社会に適応できている分、他の発達障害者に対して評価がキツイ
・上述に従い、適応できていない発達障害者への認識が健常者のそれと酷似する
以上の3点が挙げられる。

恐らく大抵の障害においてもあるのだろうが、「同じ障害を持つ者同士の格差」が激しいのだ。
外見で分からない分、発達勢における階級差は「社会に適応できる/できない」に如実にあらわれる。
例えば仕事をしている、SNS等で情報を伝える、TV番組などに出演して当事者の姿を可視化する――。
「社会適応できる」勢は上流階級だし、「社会適応できない」勢は当然底辺の存在だ。

仕事をしている、SNSで情報発信をする等所謂「上流階級の発達勢」を目にするたびに
『上流階級の連中は、結局健常者に尻尾を振ってる犬だな』
と思ってしまう。
僕に言わせれば彼らは健常者の社会に適応できている時点で「ほぼフツー」の存在だ。
そんな上流階級のお貴族様にアレコレ有難いご高説を頂いたところで、
口に合わねえ…という感想が駄々洩れる。
僕は尻尾を振らない人生を欲しているのであって、実際それが可能な状況に居るのだから、
また不要な頑張りで心身ぼろぼろにしてまで「上流階級」にたどり着こうとは思わない。

僕は確かに野良犬だけど、先の短い残り時間だけでもせめて、
誰にも尻尾を振らない、膝を折らない犬として生きる。
でなきゃ、納得して生涯の終わる幕を閉ざすこともできないから。




2019_03
10
(Sun)23:38

予兆前兆、滅亡へのマーチング

他者、特に自分の属性から遠い者に対する想像の欠如。
2020年が見えてきてようやく「他人に対する想像力の欠落」を挙げる論が散見されるようになった。
今頃かよ、と毒づくのはまたの機会に譲る笑
僕が思うに、この問題に始まりがあるとするならば
他者との完璧な相互理解はそもそも無理だという結論。
完全なる理解の試みに替わる、「解らないなりに考えてみる」という試み。
それを阻む「思考停止」という名の病。

理解という行為の結果に対して、完璧を求めてはだめだ。理解において評価し得るのは、「理解するために手を尽くす」部分だ。
手を尽くして得た結果にジャッジを下せるのは、あくまで理解の対象のみである。

完璧ならざる「理解」の空白を埋めるためには、「解らないなりに考える」という試みだ。
それでもなお埋まらぬ領域は当然在るだろうが、最初の結論として「完全なる理解は無理」なので
完璧に理解できないことはむしろ当然であろう。
どこまで手を尽くせるのか、「わかろう」とする対象に対してどれだけ飛距離を伸ばせるか。
――理解において重要なのは、思考を尽くすことだ。
己の持つ知識、情報、経験、全てを引き出して知力を絞る。
それらを結ぶ大きな一助になり得るものは、「想像力」だ。

「思考停止」の病がこの国を席捲して久しい。
極端なことを言ってしまえば、ここ100年くらいはずっとそうなのかも知れない。
・自分の頭で納得いくまで考えて、自分自身に答えを出すこと。
・些末なことから主語のデカい問題に至るまで、何だっていい、考えることを放棄しないこと。
・『自分には関係ない』を理由にして、無関心な物事を増やさないこと。

上記3つをちゃんとやれている人間はどれだけ居る?
もっと恐ろしいのは、これらを誰からも教わらなかった成人が現代社会を構成しているという現状だ。
この国の教育も社会も、自分で考える人間なんて育てる気がないし求めていない。
「自分で考えたり意見したりしない、疑うことなく従ってくれる奴隷」を熱心に育てて社会に送り込んでいる。
そんな世界では、当然ながら「自分で考える」人間は異端of異端になること必定だ。
社会にとって、学校にとっては反乱分子でしかない。
こうして「思考停止という病の国」から「病の影響から外れている者」を徹底して排斥する流れが激化する。
理解できない者、己の想像の範疇外の存在に対して、『こいつらは何者なのか』と思考することもせず、
「理解できない→嫌悪や恐怖の対象→忌むべき者として排除するのが正義」と安直に決めつけて。

知ってるか?
こういう異者排除の流れってのは、たいていの場合、何かが滅びる前フリなんだぜ。


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