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2019_05
12
(Sun)01:49

議論、討論、異論反論

人生で二度と体験することはないだろう、10連休というものを。
端的に言って、
警戒レベルがずっと上限値ギリギリをキープしてたおかげで、
連休も終わった今、僕は軽く胃潰瘍である

近くに他人が居ることが、これほど心身に重いとは…

昨日は知人宅でゴリゴリと言葉で鍔迫り合いしてきた。
ちゃんと言葉を交えていれば、たとえ激しい応酬になっていても遺恨めいたものは残らない。
まあ、議論であるからには、それが大前提だが。
その時のテーマを思い返すと、フィクションにおける時代考証や人物設定の詳細(外見や性格等)に
どれだけ重きを置くのかということだったが、議論の最中ずっと噛み合わなかった気がしてならなかった。
僕もだいぶ時代考証はうるさい方だと認識していたのだが、
更に上を行く厳密さでこだわりを見せた知人に対して、「んー、でもなあ」と首を傾げた。

フィクションにおける時代設定が明確であるほど、
該当する時代の風俗や文化、価値観になるべく沿うことをどうしても要求されるのが作り手の立場だ。
実際、歴史として過ぎていった時間のことであれば、「その時代」を作品の世界に組み込む理由が必要だから。
とは言え、「その時代」を経験した者がもうほとんど生きていない、或いは記録証言を得られない場合。
時代考証の定番ツールと言えば、やはり歴史資料や文献、学術論文、遺跡、当時の状況を何等かの形で保存したものが挙げられる。
それらの助けがあったとしても、それでも僕はどうしても思ってしまう。

「当時そこで生きていた、その時代その世界を体験した者にしか知り得ない事実。それが【本物】である以上、時代考証をどれほど緻密にしたところで本物は超えられない」

だとすれば、時代考証の定番ツールである様々な資料をどれほど読み解き作品世界に厳密に適用しても、
それは虚構の最高値であってそれ以上にはならない。
フィクションだから当然そうでしかないが、僕に言わせれば「本物じゃないならば適用の緩急はつけた方がいい」なのだ。

時代考証の結果を、どの程度作品に投影するのか。その匙加減を決めるのは、作品の目的だ。
その作品を世に送り出す時に、何を受け手に一番伝えたいのか。
一番伝えたい、解って欲しい部分が「歴史としての正確性」ならばドキュメンタリー要素が濃厚になる。
けれど、作品の一番肝な箇所がそこじゃないのなら、時代考証の厳密な適用に固執しても仕方ない。
制作期間、予算、規模などに応じて適用の緩急があって然るべきだ。
作品の目的がブレないようにするべきことは、一番伝えたいことだけに焦点を絞ることだ。

あと改めて気づいたが、僕はフィクションもリアルも、人物の属性には1㎜も関心が無い。
男女、年齢、職業、出身地、外見…。
それらは名前と一緒で、単なるアイコンでしかないのだ。
属性とは身に纏う服や装飾みたいなもので、その気になればいくらでも変化させられる。
変えられる部分ではなくて、それら属性を全部取っ払ったとしても残る芯、根幹。
僕が人物に興味関心を覚えるのは、あくまで芯だけだ。
その人が男か女か、なんてことには全く興味がない。

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