fc2ブログ
2019_12
31
(Tue)20:28

滅亡に至る病

僕がどれだけ見限ろうとも、それでも世界は変わっていく。

勇敢な人が世界のあちこちで動き始めている。
日々のニュースで誰かが果敢に行動し、意思表明し、古ぼけた権威に抗いを試みている様子が伝わってくる。
匿名の、または各国メディアの、その他安全な場所から石を投げつけるしか能のない無責任な野次馬どもにも全く屈しない。
権力や暴力や理不尽で彼らの行動を封じることはもはや無理なのだ。
無論、僕らの知り得ないところで傷を負い、手当てを施す間もなく再び戦いに出向くのだろうけど。

勇敢なひとが世界を変える。彼らは変えようという意思を持って行動する。
その動きに誘発されて、誰かが勇敢なひとを手助けする。
勇敢であることは、この閉塞しきった時代において、真に賞賛に値する資質だ。

僕は勇敢ではない。度外れた無謀ではあるが、勇敢さとそれが別物であることはもう理解している。
仮に勇敢さを持ち合わせているとしても、自分自身にしか適用できない勇敢さだ。
他人を巻き込みたくない、などとはさすがに恥があるから言わないが、要は自分仕様ということなのだ。

障害が発覚してからずっと継続している”世界の外を目指して走る”生活は、僕なりのスタンス。
勇敢な人たちのように礼儀正しく戦うのは彼らにお任せだ。
だからと言って「普通」を自認する大衆のように、生き残るために誰かを貶めることを良しとはできない。
何より家畜のように、「考えることを諦める」ことはしたくない。できない。
だから僕は、ひとりで世界に背を向けて全速力で外に走っていった。
道中を共にする者もない孤独は恐れるに足らず。
この先に広がる景色への期待と好奇心が全てだ。

――この国では”滅亡に至る病”と位置づけされるであろう、発達障害を全身全霊で抱える僕だから可能になった戦い方。

僕にとって、障害は障害ではなくなった。
他人からしたら僕の存在が障害とも呼べるのだろう。あいつが居るから、あいつの性質が云々…。
傍らに誰も居ない今、僕と何かのあいだを繋ぐ必要が無いのだから、繋ぐことを阻む=障害はもはやない。
これほどの自由がいま手に在る。

ロジック、言葉、思想、価値観、面倒くささ、単独行動、寝食不要、機械、SF、その他。
僕のなかに根付くたくさんの要素を、本当に誇らしく思う。
自己否定も自己肯定も僕には必要ない。
生きづらさが手のひらで溶けていくみたいに、楽になる。
――いつ死んでもいいように生きているからだ。
スポンサーサイト



  • 記録
2019_12
24
(Tue)18:39

バカリズム

ニュースでバカリズムの結婚を知り、うわあと一度止まってから、そうかと落とし込んだ。

つい先日「そろそろ結婚して欲しいお笑い芸人10人」というニュースを見たばかりだったのに、
しかも5位にバカリズムがランクインしていたもんだから、時間差よ…w

個人的=勝手の極みを述べさせてもらうと。
バカリズムという人物は、ご本人の希望云々に関係なく、この手のライフイベントと無縁にならざるを得ないと思っていた。
理由は単純、「人を近寄せない」雰囲気。
アメトーーク等のお笑いバラエティ番組では散々「人見知り芸人」「1人暮らし長い芸人」というカテゴリで出演し、
総じて異性との情緒含めた触れあい全般を相当苦手としている印象を強めていた。
たとえそれらの反応がTVショーにおける演出を含めていたとしても、またそうでなかったとしても。
番組のなかでは「モテたいし、結婚もしたい」と発言していても、業界の外にいる人間には信じられないのだ。
仮に本音であっても、それはあくまで所謂人並みレベルのぼんやりした願いなんだろう。
或いは、過剰に人見知りを主張することで、”本質的には誰も近づけたくない”制御装置とする意図があるのだろう。
――そんな印象を抱き続けていた。

そもそも恋愛はともかく結婚に関しては、バカリズムに必要とは思えなかった。
ほんとに申し訳ない私見だが、バカリズムに欠落があるとしたら「他者への情緒・情動」ではないかと常に考えていた。
他者への関心や観察眼は有り余るほど持ち合わせていると思うが、それだけに――。
お笑いの資質とそれに連なる欲求や願望を駄々洩れさせながら生きている、その一方で個人の情動はひどく見えにくい。
何も知らない人からしたら、精密機械と言われるのも仕方ないと思わせるくらいには。

あと、コレは完全なる僕の偏見で「俗なものに触れて芸事の刀が鈍る」ことを回避して欲しいという勝手な願望。
結婚が必ずしも人の向上心や進取の精神をダメにする訳ではないことは分かっているのだが、
少なくともバカリズムにそういう俗の極み(結婚)を手にとって欲しくなかったというね。
神格化したいとは1ミリも思ってないんだけど。

バカリズムというひとは、僕にとっては本当に遠い世界の人物で、道ですれ違うことも一生ないひと。
だから心から願うことができる。
望むもの、欲しいもの、願い、どうかひとつでも多くその手にすることができますように。
彼の人生におけるひとつの選択を、心からお祝いし、尊敬します。

――升野英知さんおめでとうございます
  • 記録
2019_12
20
(Fri)19:56

絶望の汚泥

この国に生まれてそろそろ半世紀経つが、男性優位/男尊女卑/性犯罪への鈍感さにおいて、
何かが変わったとは全く感じられない。
人類史的な視点から見れば、あるいは何かが変わりつつあるのかも知れないが、”今”の僕らにしてみれば知らんがなとしか思えない。

先日大きく報じられた性犯罪の民事訴訟で賠償命令が出されたことは、まあ画期的ではあるのだろう。
そもそも訴え以前に事件としても却下され無かったこととして葬られるしかなかったのだから。
とは言え手放しに喜べもしない。刑事罰として認められるか否かは今後の話だし、どれほど強烈なカウンターが彼女にまた降りかかるか、そしてその嵐の向こうに求める結果があるのかもまだ判らないから。

日本の男の愚かしさとは、相手の身体精神名誉尊厳を僅かでも損なう行為を自分が行ったとしても、
”それの何が悪い?””そんなことは犯罪ではない””それをさせるような相手が悪い”
――心底そう思っている腐り果てた性根にある。

生まれた時から「男」というだけで無条件に特権的下駄を履かせてもらっているくせに、
その下駄があたかも自分自身の能力で手に入れたものだと勘違いしている。
「下駄」の正体は、ただ単純に大昔から連綿と引き継いできた既得権益というボロボロのレガシーで、
もはや誰をも幸福にしない朽ち果てる寸前の価値観に過ぎない。
しかし男どもにとってはこの腐った果実が相当魅力的なようだ。
そりゃそうだ。自分は何の努力も苦労も労することなく「アナタハエライヒト」と尊敬してくれるし優先してくれるし機嫌を取ってくれるのだから。
何なら無法を働いたところで誰か他人が罪を被ってくれるか庇ってくれるか揉み消すかしてくれるのだ。
――性犯罪とか、さ。

これだけ旨い思いができる特権を、自分で考えることも努力することもしない腐れ男どもが手放す訳ない。
まして他人(特に女性)から、”それを手放せ””それはもはや過去の価値観だ”などと宣告されたなら。
そりゃ、暴力でも暴言でも誹謗中傷でも何でも手段選ばず、相手を潰しにかかるだろう。
大事な特権を奪われることは、男どもにとってアイデンティティを失うのと同義だからだ。
もはや現代を生きてすらない大昔の誰が作ったのかも判らない古き教典が、
今もなお現代の男どもには必要不可欠な教典で、しかもアイデンティティに等しい分かち難さで個々に紐づけされている。
いかに男どもが人生で何も考えず生み出さず己に価値を付加しないままバカ丸出しで年月を重ねているだけの存在か、
これだけでもよく判る。
現代日本の男どもに対して、人間として行動することを期待すべきではないのかも知れない。
無能と低能のミックス。何も持ってないじゃん。自分で獲得したものなんか、いっこも持ってない。生まれて死ぬまで一貫して「奪う」能力だけが病的に高いよな。
他者が差し出すのも傅くのも犠牲になるのも当たり前だと思い込んで、虚飾まみれの滑稽さに死ぬまで気づかない。
心底、同じ場所で同じ空気吸ってるのが嫌だ。こっちまで魂が汚れる気がする。

感情だけでばーっと語ってしまうとさ。
現代日本の男は全員、生殖能力やセクシャリティに関係なく生殖器切ってしまえばいい。
両腕両足も切ってしまえばいい。俗にいうダルマってやつ。
そのままで転がしておけ。見せ物にしてもいいけど需要によるなw
――ダルマ人間って、自力で飲食や排泄、性欲処理とか一切できないんだよ。何なら自殺も。
本当に何もできない。しょせんその程度の存在なんだよゴミどもが。
日本の男どもは全員その無力と無能を骨身に叩き込め。汚辱にまみれて野垂れ死ぬ気分を楽しんで欲しいね。

  • 記録
2019_12
05
(Thu)23:29

集団<<<個

判断が早い、断言癖、見切るの早い、ついて来れなきゃ置いていく
――と言うのが僕の傾向だ。
無理をしてまで理解や共感を求めない。求めることがかえって他人に負担を強いる場合もある。
「分かって欲しい」を理由にして、他人に己の価値観を押し付けるのは罪深いし、逆の立場なら勘弁して欲しい。
そうした態度を他人がどう解釈しようが知ったことじゃない。
分からないものを分からせようとする行為に潜む暴力は往々にして”善意”の顔で近づいてくる。

だが我々は警戒すべきだ、地獄への道は善意で敷き詰められていることを。

どうでもいい他人には、上述の体制で対応している。もちろんコレは僕からしたら最大級の誠意である。
しかし先日とある御仁と話していて、どうにも歯切れ悪い自分が居ることを改めて感じた。
決まった特定の話題になると、本当にびっくりするほど口が重くなるのだ。
何となくだが恐らく相手も(何でこの話題になると煮え切らない態度なんだろう)とモヤモヤしていそうだ。
僕も腹の底では論を抱えていて、言葉としたいのに、いざとなると口の中がヒリつく。

何でだ、と悶々としていたが、意外と身近に答えが転がっていた。

僕は、集団とか固まりとか、複数の個が集まったものを”総合”として認識できないのだ。だから観察も評価も判断も出来ない。
社会なんて最たるもので、様々なコミュニティが複雑に多数存在しているし、ひとりの人間がいくつものコミュニティを掛け持ちしている。
僕にとって固まりは、どうしても”たくさんの異なる個”なのだ。
だから一緒くたにしてひとつの評価なんて出来ない。
プロ野球の球団も、政党も、趣味の同好会も、ひとつの集団ではあるがそれ以前に”複数の人間”の集まりだ。
政党を一にしているからと言って、全ての考えや価値観をも一枚岩のように共有している訳もない。
その僅かな差異を、僕は無視できないし、いろいろ違う以上、”固まり”として見るなんて無理だ。

コレを弱点と見るのか否か、どうしよう。
…生きてると色々問題が発生するなあw
  • 記録