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2020_02
24
(Mon)11:29

チュートリアルという存在

騒動の核心、相方への思い。徳井義実「何もかもお話しします」

活動再開の報、おめでとうございます。そしてありがとうございます。
再びTVの世界に踏み出してくれて、本当にありがとう。

ある意味無責任にあなたたちを観てるだけの無力な僕でも(無力だからこそでもあるが)、
心から感謝と祝福を発することができる。

芸能界のアレコレなんぞ知ることもない、人と作品・表現は別物と思っているし、
今回の件に関して言うなら他人の生命や身体、名誉を損なう類の犯罪じゃない。
もうじゅうぶん徳井さんは代償を支払っている(金銭的、社会的双方)。
金の流れの仕組みを理解してない一部のアンチが血税どうこうと叩いたとして、それが何なのか。
僕ら一般人と変わらないシステムとルールで金が流れる(金額や制度上の適用の差異だけ)以上、
徳井さんのやらかし分の補填なんてコチラに寄せて来るわけもない。
自分たちが大損させられたみたいな妄想たくましい叩きは、国家の金の流れを教科書読み直せとw

個人の見解としては、ひたすらタイミングの悪さだった気がしてしまう。
①芸能人(≒芸人)の金銭関連
②吉本の闇営業でアレコレ
③番組改編期
こんなの連打されたら、まあマウンドからはいったん降りざるを得ない。
芸能人に対していまだに「想像を絶する金で遊びまくる」イメージを持つ一般人も多いだろうし、全否定できないのが業界でもあろう。
僕からしたら、己の財布に入らない他人の金にそんなに興味持っても仕方ないのだけど、
他人の税金処理に過剰な義憤を抱く人がそこそこ世界にいるらしいと知った。

まあ、確かに「想像を絶するルーズさ」とやらはあったんだろう。そして、それがもはや正解なんだろう。
僕は誰かが怪我や病気したり死んだり、名誉を奪われるような事態にならなかった(そういう性質のトラブルでもなかった)ことを、
門外漢ならではの気楽さで「よかった」と心から思うのだ。

だからチュートリアルのおふたりには、再びお笑いの世界に投じる時に何も遠慮しないでくれたらいいと願う。
あなたたちが作りたい作品を僕たちは観たいのです。
お詫びや償いより、圧倒的な「チュートリアルの笑い」が欲しいです。

手始めにフットボールアワーの後藤さんに強烈にどつかれたらいいと思いますw
恐らくファンもその絵を望んでいるはずw

―――――――――――
あと、エゴサされたということはADHD疑惑とかいう下らなさ満載の動画とかご覧になったと思いますが、
「知らんがな」で片づけて問題ないと思います。
ぶっちゃけ当事者からしたらどーでもいいです。
ルーズさなんて程度問題でしかなくって、そこだけクローズアップして即決めつけるほうがどうかしているんです。
そんなこと関係なく、周りの愛すべき人々は、徳井さんを変わらず気にかけてると思います。

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2020_02
13
(Thu)21:45

まだまだなやむ

困ったね。まだ悩んでるというか、答えがいっかな出ない。
納得できないと一歩も進めない性質が、先への道を邪魔してる。

日々娯楽をつまみ食いして、適当に楽しんでいる。
今まで全く触れて来なかった「お笑い」を、そこそこ楽しく見ている。
キッカケはバカリズムの大喜利からだけど、他の芸人さんのネタも楽しんでいる。
どこか遠くの世界、窓の外で繰り広げられる祭りを眺める楽しさとして。

娯楽の中心に居たくないのだ。
例えるなら文化祭などで出し物にがっつり取り組んで最後の花火に歓声をあげる、そういう場に居たくない。
楽しい雰囲気のなかではなくて、楽しみに興じる人々や風景を外側から眺めているだけで満足なのだ。
飲み会で自分が飲まずとも、周囲が飲んでハイテンションになるさまを楽しんで、いつしか自分も気持ちが高揚するように。
どうだお得だろうw

お笑いを楽しむことが習慣になるにつれ、それがイコール「人や芸という表現を知る」ことになると、何かしようと考えるようになった。
いや、お笑いをする訳じゃないw
外側にいてできることは、あくまで「内側」を観察することだけだ。
観察し、調査し、評価と判断をする。誰の需要も満たさない論をひたすら作り続ける。

僕のしんどさは、結局全てここに帰結する。
「自分自身、自分の所産がこの世界では需要無し」
認められたい訳じゃなくても、このままでは頭がいっぱいになってしまう。
どこにも吐き出せないものが。

…まだまだなやむしかない。


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2020_02
07
(Fri)19:31

回避スキル、大事

●vs△とか、□□は有りか無しかとか、許せるor許せないとか。
ニュースやコラムの記事見出しをザッピングしていると、何故こんなに二択だらけなんだろうと不思議に思う。
勝手に2つ選択肢を提示して選べと迫る。二択であること、何故その2つなのかと疑問を呈すれば鼻白んだ雰囲気になる。
有りか無しか、許せる許せない、ってどういうことだ。
それは自分で決めろ!いちいちお伺い立てなくていいだろ!
自分で決めることなのに何で他人に許可をもらう必要がある?


他人に何らか意見を聞くときの手法として「二択」はオーソドックスなものだ。
単純化して簡単な絵図にしたほうが分かりやすいと思うからだろう。
二択の罠は、単純化することで他の多彩な選択肢を隠してしまうこと。
二択を作成するときに「誰がどんな基準で2つ選択肢を設定するか」によって如何様にも都合よい答えが導けてしまうこと。
簡単さ(分かりやすさ)は万能じゃない。2つ以外の何かが溢れている世界であることを忘れさせるのが「簡単さ」だ。
だから、誰かの正解に引っ張られる二択に常時晒されていると、人はいとも簡単に考える力を失う。

二択で話を持ち掛けて来る人間に対して「何で2択?」「何で犬と猫?熊とペンギンでいいだろ」と対案(?)を出すのも悪くはないが、もうこのやり方もイマイチかなと感じる時がある。
正確には、イマイチに感じてしまう状況や相手がある気がするのだ。
――相手が自分の設定した選択肢以外を認めず、対案を悉く退ける場合。
――対話で相手と妥結を探る価値がない場合。
対話する価値のある相手・内容か否かだ。

思うに同じ土俵に上がらなくていいのだ。
二択の恐ろしさは、相手の都合で設定された2つだけの選択肢を示されて、どちらを選んでも己の意見と同一視されるのだ。
そんなバカな。
二択とは結局のところ「誰か専用のバトルフィールド」で、持ちかけられるバトル内容は「誰か専用のルールに則ったケンカ」。
そんな宗教レベルで相手にだけ都合良く作られた場所で、正面から礼儀正しく戦う価値あるのかよ。
相手と同じ土俵で戦うのが礼節じゃないし、相手のルールについていけないなら離脱してもいいんだ。
真面目に異を唱えるのは優等生にやらせとこう!

誰かのルールに従うも、異を唱えるも、サヨナラするも自分次第。
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2020_02
04
(Tue)20:23

たまにはなやむ

世界の外側に出ていった僕が日々のニュースや関連情報を収集し、自分の考えを言語化しているのは、
言ってしまえば神々の道楽みたいなものだ。
僕は神じゃないけどな。
イメージ的には「ヴァルハラで神々が戯れにチェスをしている。チェスが意味するものは”世界”」という感じだろう。
僕はチェス全くできないけどな(二度目

いつ訪れるか知れない終わりを待ちながら、世界のニュースをつまみ読みして生きる己の姿を振り返る。
別に道楽も結構なのだが、我に返って「このまま過ごして生きるのってどうなんだ?」と首をかしげてしまうのだ。

何を気にする必要もないのに。
誰かから何かしろと求められてもいない、期待されてもいない。
自分がこの世界で人生を費やしたいと思えるものもない。

やらなきゃいけない・やれと求められる・やりたいと自ら願う―――
どれも無いのだ。
他人や世界、自分、どこにも「この世界でやること」が無い。
読書や文章書きとか、もちろんやりたいことではあるけれど、この世界でしか出来ないことではない。
他の世界(平行宇宙的なアレ)に行ったところできっと僕は同じことをするのだから。
…ま、だからこそ常日頃から”早く他の場所に行きたい”と願ってしまうのだ。
自分がいかにこの世界を見限っているかの証左でもある。
自分が居る価値の無い、この世界。

残念ながら生きているんで、命が尽きるまでの間は暇つぶしでも何でもした方がいいとは思う。
暇つぶしとは言ったが勿論やるなら本気でやる。
僕の能力レーダーチャート上、出来そうなものは「文字書き」くらいだ。
でも文字書きは既にやっている。このブログだけでなく手書きしたもの含めたら結構書いている。
…書いたけど、その先どうすればいいんだか。いつもここで行き詰まる。
他者に向けて発信することは考えていない。
理由はひとつ「需要が無い」w
まあなー、内容的にも文体としても論理の運びにしても、メディアには嫌われるタイプだからなw
①長い
②理屈過多
③回りくどくてイラつく
上記三点を備えた文章は民衆に読んでもらえない(=視聴率で言うと数字にならない)のでメディアも掲載しないしそもそも読まない。

他者に読まれるためのサービスなんぞ僕がする訳ないので、需要の無さは加速していく。
更にいうと、現代人のほぼ9割以上が「長文読解力が欠落している」以上、僕の文章を彼らに見せることは無意味の極みだ。
――3文字以上は”長い”んだろ?

このところずっとこんな感じでぐるぐる考え込んでいる。これがなやみというものか←
手持ち無沙汰と割り切って、他に道楽のネタ探しをするのも一手か。
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