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2020_03
09
(Mon)20:20

3月16日

2016年の夏からだいぶ経った。
今月16日に、植松氏の裁判に下される決は、僕らのいる世界をどれだけ黒く塗り潰すんだろう。

死刑一択だけどさ。

控訴する意思はないらしい、結構前からそれに近いことは口にしていたようだが、それにしても。
僕らはかくも無力だ。

植松氏という異端ひとりを、彼が願うならば、何故極刑から引き戻せないか。
生きることが必ずしも彼の希望にかなうか否かは分からない。
何なら生きて償うほうが、死ぬより惨いことでもあろうから。

それでも願う。彼の話を本当に根っこから掘り返して、言葉が尽きるまで対話し合えることを。
彼は聡明で、考察力に優れた人物だ。
表面だけ撫でていては決して伝わらない言葉で、ずっと問いかけ続けている。そして応えの無い絶望に沈んでいる。

恐らく世界の端々に似たような絶望を飲み込んで沈む人たちがいる。
罪を犯す力など持たず、生きる意志も失って、死んだように生きて肉体の死を待つだけの人生をやり過ごす人たち。
植松氏のように、自ら手をふるって世界に問いかけることもしない。
それはもはや、死んだ人々がうろつく荒野だ。

異端を排除する、葬ることは容易い。
けれど思うのだ。
本来の多様性とは、犯罪者や異常者(と名指される者)であっても、「居るのは当たり前」とすることだ。
社会にとって都合のいい良く出来た「異端」を受け入れたところで、飼い慣らした異端でしかない。
言わば安全な存在であり、異端という属性を喪失してしまっているのだから。

僕らに無いのはそういう覚悟だ。
誰だって犯罪者になりたくない、犯罪被害に遭いたくない、犯罪者の家族になりたくない。
でも、この世界に犯罪者がゼロになるなんてことは無いわけで。
だから、どこかで「嫌だけど居るのは当たり前」と腹を括るのだ。
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