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2020_04
23
(Thu)15:00

平らかでありたいから言葉を綴る

ドラマの起きない僕の世界にも、どうしたって余波が届く。
仕方ない、現実と僕とは断絶しててもどこか地続きの関係を余儀なくされている。
辺境の街にも中央の争乱が噂となって聞こえてくるように。

だから時には感情を揺さぶられてしまうし、それが苛立ちを生むこともある。

世間一般には恐らく不安と恐怖が二本立てで、人々を混迷に陥れて思考停止と視野狭窄へと駆り立てる。
感染という不安、死への恐怖、家族を失う可能性、自分の生活が激変したことへの困惑…
だいたいが「そうなったらどうしよう」「死にたくない、死なせたくない」がメインになるんだろう。

感染する/させる可能性についてはもはや全員が等しく背負っているリスクで、
この期に及んで怖がるのはナンセンス以外何ものでもない。
自分は例外、なんて、もう誰が言える?富裕層だろうが特権階級だろうが年金受給者だろうが平等にヤバい立場だろ。

自分が/家族他近親が死んだらどうしよう
これに関しては、僕は自分が無頓着なので世間と共感できないw
じっさい、外出自粛の御時勢だけど家に居たくない子供や居場所のない女性が少なからずいて。
殊更な暴力に晒されてなくても、家が地獄だと感じるなら大差ない。
僕も大して変わらない。おかしな話で「3密NG」なのに家庭は例外扱いなんだよね。何でやねんって言いたい。

何で家庭なら安心って決めつけてくんだろ。家族も他人も安心できないのに。
憎んでいる訳でもないから、死んでくれとはさすがに思わないけれど、でもいつかは死ぬじゃん。
コロナウイルス関係なく、誰もがいつかは。
だから今更「死んだらどうしよう」なんて狼狽える話じゃないんだ僕にしてみれば。

だから、ちゃんと心構えをする。それだけが僕にできることで、だからこそ悔やまずに「死」を迎えられるんだ。
自分のでも、誰かのそれでも。
心構えの中身を具体的に言うと。
自分に万一が起きた場合の事務的対応を書き起こして文書にしている。
金銭面、行政への届け出、社会保障の対応(年金とか)
あとは医療面。救急措置の拒否、臓器移植や献体等の拒否など、自分を生かそうとする全ての行為を禁じる。
これが法的にどれだけ有効か知らんが、本人の意思表示としては重要だから。

こうして何かを言語化して書いてるから、ぐらつく心をしっかり手綱持ってられるのだ。
言葉があってよかったと思う。 


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  • 記録
2020_04
18
(Sat)18:00

いつでも『これが最後』

見えざる者がそばに迫ってきている。誰もが等しく背負う、感染する/感染させるリスクは、日常に纏いついてしまった。
発症していないだけ・自覚症状を感知していないだけで、誰一人として「自分は大丈夫」などと嘯けない。

他人を猜疑の眼差しで非難する時、誰かが同じようにこっちを疑いの目で見ている。
感染を公表した人を責め詰るのならば、己の無菌状態を証明してみせろ。
誰にもできない悪魔の証明を。

感染発症して、病床にある人を罪人の如く糾弾することは、見えない不安に投石するのと同義だ。
可視化できない脅威に対する不安は終わりも見えず、そもそも姿なく近づいて人を蝕む。
けれど、己の内側で暴れる不安を、他人にぶつけて留飲を下げることで解消できる訳はない。
お前が誰かに投げようとしている石は、正義でも正解でもない。不安や恐怖を打ち消す魔法でもない。

災厄の渦中でもがいている者に、他人の行動や決断を真っ当に評価することはできない。
日単位、時間単位で下される社会の動きや示される指針に対して、感情でダメ出ししている場合ではない。
評価は後日、遠い未来で後世の歴史家みたいな人たちがやってくれる。
ダメ出ししたり「前例がないからダメ」とかゴネてる間に守れる命が消えていく。

何度でも言ってやる。
僕らがいまできること、やるべきことは、自分で考えて判断し行動することだ。
――どれだけしんどくても、重い作業だとしても、今を生き抜くだけじゃなく「災禍を越えた後の世界を生きる」自分であるために。

僕は先週、友人を訪ねた。
もうそこまで迫っている危機と、見えざる手を感じながら、
『このひとと会うのは最後になるかも知れない』と覚悟を腹に据えて。
ぞっとするほど寂しくはあるが、必要な覚悟だ。
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2020_04
14
(Tue)14:21

1914

1914年は第一次世界大戦の勃発した年で、近代と現代の歴史的転換点ともいわれる。
戦争に飛行機や通信技術がもたらされ、本来的領土から離れた地域への植民地支配が拡大され、国民の知らない場所を巡って争いが始まる、あらゆる分野において「規模が大きい」話に発展していく時代を迎えた。

2020年。21世紀に入って20年近く経過した今、地球規模で感染症が猛威を振るい続けている今。
ある意味「21世紀の本当の始まり」が到来したんじゃないかと思っている。

停滞と旧態依然の両輪で、多数の生命や名誉や権利が踏みにじられている現代社会。
変わらないことで益を得る者が現状に固執して、変化を厭う者はそこに隷属して威を借る愚鈍と化す。
しかしウイルスの見えざる恐怖は人々を容赦なく変化へと追いやり、半ば強制的に諸々の変革をもたらすキッカケとなった。

仕事とは職場に集まってみんなで一緒に、だけじゃない
発展し成熟した社会構造は些細な瑕疵で容易く揺らぐものだ、という教訓
教育の在り方、家族の在り方、つまりは人とのつながり方をたった一つの正解に従わせてはならないということ
ひとは、どれだけしんどくても、自分で考えて判断し行動する存在であるということ

これは、僕の気のせいじゃないだろう。もう、パラダイムシフトが見えているんじゃないか。
感染症の暴風はまだしばらく続くだろう、少々治まったように見えても自粛緩和すれば再び感染が舞い戻ることは想像に難くない。
世界規模の公衆衛生リスクと呼び得るであろう、コロナウイルス危機に決着をつけることができたなら。
我々は大きな変革への入り口を開くことになる。

個人、社会、国家、つながり、倫理と規則、思想や価値観
21世紀の人間に相応しいそれらを、己で掴める。

だから僕らは絶対油断してはならない。
変化が押し寄せる時に警戒すべきは、「権力の肥大化、絶対化が常態になること」
非常時において、人々は一時的ならばと権力中枢への権利移譲や、過度の個人情報管理を委ねてしまいがちだ。
もちろんそれらの(それ以外も当然)対応策が必要であるならやむを得ず、という場面もあるだろう。
しかし変化を利用し、権力と支配欲求とを携えて人々を蹂躙する者はいつの時代も一定数いる。
そのような者に決して口実を与えるべきではない。
「偉い人に全部任せておこう」が一番危険だ。その瞬間から尊厳などないも同然の存在になり下がるのだから。

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2020_04
10
(Fri)11:09

自由から逃げるな、考えることを放棄するな

緊急事態宣言から数日経過。
東京の感染者数がまたぶり返すように増えていく。蔓延の勢いが加速している最中なんだろう。
数字に恐怖心を煽られてしまうのも無理からぬことだが、それでも僕らは感情の手綱を奪われるわけにいかない。

YouTubeで見つけたロザンのTV会談を視聴。

【ニュース】緊急事態宣言に対するロザンの見解

基本をなぞりながら丁寧にお話されている。
TVの情報番組で唾飛ばしながら喚いているお歴々よりずっと理性と知性がある。

強権発動をし難くしているこの国のルールが、何故戦後から今に至るまで継続されているのか。
強制的な力で従えることはいくらでも可能だ、それをしない(できない)設定にされているのは何故か。
権力から離れて生きる者たち(民衆)が、己で思考し判断し行動する余白=自由を奪うべきではないからだ。
そして、僕らは、その趣旨に沿って「自分で考え判断し行動する」人間であれと求められているからだ。

誰かが正解を示してくれると思うな。偉大なリーダーが導くままに同方向へ進んでも大丈夫だなどと思うな。
声の大きい者が牽引する正義や正解に、全員が従うのが当然と思うな。

未曽有の危機に身を置く状況で、過剰な情報や無用な対立に惑わされ続けていれば、大抵の人は不安と不満を募らせる。
デマや誤った情報を鵜呑みにして、誰かを糾弾したり拒絶したりすることで留飲を下げる。
自分と異なる意見を発する者を「不謹慎」「一丸となるべき時に非協力的」と罵倒する。

――これら全ては、不安を制御できずに他人に正解を求め、判断と責任をも他人に依存する、考えることを放棄した人間の潰走するさまだ。

そりゃ、強力な指導者が現れて民草を正しい道へと導いてくれるって言うんなら、考えたくない人は簡単にそっちに靡くさ。
上手くいかなかったら責任は指導者に問えばいい(と決めている)し。
そうやって自分で考え判断し行動することを放棄して、誰かに全部預けて楽だなどと寄りかかっていると、
何一つとして己の判断で決められない状況に追い込まれる。
誰かの都合で動く・考えることだけを求められる生き物として扱われる政治体制を、僕は到底肯定できない。

だから僕は最後まで自分のことは自分で考えて決める「自主自立」を旗として掲げる。
それを支えるのは「自律」。自由だからこそ御すべき己の領域を、誰かのために尊重することを誓う。


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2020_04
08
(Wed)10:47

変化の境い目

集団から個へ、様変わりするコロナ収束後の日常

遅々として進まなかった変革への階を駆け上がれるチャンスかも知れぬ。

社会や経済の前提にいつも存在した「集団で、同じ場に居て、共有する」が絶対必要ではなくなった。
少なくともそれだけが正解/常識ではないと、実感を持てる経験をいま我々はしているんじゃないか。

デスクワークは職場のPCだけ?
営業会議は秘密保持のため会議室のみ?
販売職は実店舗で対面勤務だけ?
長時間の診察待ちで疲れずに済むようにオンライン診察や処方箋発行は不可能か?

自宅、もしくは仕事用のサテライトでもいいんじゃないか。現にノマドという前例プロトタイプもある。
TV会議やオンライン上のデータ送受信はずいぶん前から実用可能になっている。
物品販売はもはや対面をこそ敬遠する向きもあるくらい(特に衣料品)、通販の定番化が浸透している。
診察予約システムや処方箋発行は一部で運用されている。

「別にみんなで同じ職場に通勤して仕事する必要なくね?」
「介護や病気等の事情を持つ人が働きやすいほうがよくね?」
これらの指摘がずっとずーーーーーーっとされていながら、呆れるほど及び腰の状況が続いていた理由。

・特定の人のために会社のルールや職場規定を変更するのは不公平
・前例がないからできない、しない
・従業員全員が同条件で通常勤務するべきだから、それができないなら辞めろ

上記3点が大方の言い分で、僕も仕事していた頃はこれを盾にして幾つもの要望を却下されてきた。
介護や育児に携わっている人はそれこそ幾度となくコレで阻まれたものがあることだろう。

そして今、感染症という「前例なきリスク」に見舞われているわけだ。
こうなると、しのごの言わずに出来ることやれや!という勢いと実害を憂える計算とが両輪となって、
物事が驚くほど前進する状況が生じる。
「前例がないし~」「失敗したら誰のせいなんだよ」でもでもだって、のオンパレードは当然叫ばれるが、

ゴネてるあいだにどんどん人が死ぬんだぞ、そっちの方が大問題だ

本日から緊急事態宣言が正式に発動したが、5月以降も何らかの形で自粛要請は続行されるだろう。
全く同一内容の自粛要請等かどうかは分からないが、5月まで我慢すればという見通しは甘い。
5月から先、日本に来る可能性の大きいリスクは「猛暑(夏)」「台風など災害」だ。
気温・湿度の上昇に加えて台風による水害が発生すれば、感染症リスクは恐るべき脅威となって全土を席捲する。
実際、西日本水害ではノロウイルス等の集団感染が発生した事例もある。
コロナウイルス+胃腸炎関連のウイルスは、上下水道と大気の安全を破壊する。

…ぞっとしない話だけど、未曽有の危機に面している事実からは逃げられない以上、
どこかの場面で優先順位を明確にした行動を自分で判断する時が来る。
限られた条件で、使える道具も少なくて、時間は迫っていて、不自由と理不尽に挟まれて、
どうしたらいいんだと頭抱える状況は必ず来る。
その時こそ何かを変えるチャンスかも知れない。
できるかどうかより、やるかやらないかを基準にして、「今考え得る最善を尽くす」しかない。
でもでもだってじゃねえよ、と周囲を振り切って。
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2020_04
06
(Mon)17:14

予想外の災厄

ついに伝家の宝刀()がお出ましなんだろうか<緊急事態宣言

半世紀ほども生きていて、災害や凶悪犯罪、世界規模の経済異変、テロ等。
まあまあ色んな種類の脅威に出くわしてきた。あとは戦争(自国内)だけ未経験か、と思っていた。

まさかの感染症かい。

即座に中世ヨーロッパとかアレコレ想像したよ。黒死病、チフス、スペイン風邪…
歴史上、人類はさまざまな脅威やリスクと向き合って克服してきた。
技術や知識や経験を重ねて、リスク管理に注力してきた。はずだ。
…恐らく、「感染症」は、最も手薄な領域だったんだろう。そこを破られた。
むろん手薄と言っても各々最善を心がけて日常を生きているけれど、感染=公衆衛生の格差は個人の努力では越えられないこともある。
先進国/途上国、先進国の内側でも所得格差や貧困、差別によって必要な衛生施策・教育を得られない状況は存在する。
いざ感染症リスクが発生した時に、それぞれが適切な対応を自分の判断で行えるかというと無理だ。

犯罪なら警察が対応する。自然災害なら行政や救急が対応する。それぞれの役割が前もって振られている。
役割のある者はまだしも、非常事態を前にした民衆は、突然の自己決定を諸場面で下さなければいけない。
それが自分を守るためであっても「自分で考えて判断して行動する」ことの困難さは、日常の比ではない。

我々はまさに災厄の渦中にある。
ニュースやTV番組では日毎に対応の後手加減や、対応策の中身を添削して、こっぴどくダメ出ししている。
良い大人たちが鼻息荒くしてギャーギャー文句垂れて、コレお茶の間に流れてんだぞ大丈夫かと突っ込まずにいられない。

渦中にある者には、まっとうな評価や批判などできない。少なくとも今する意味はない。
僕らが今することは、「自分で考えて判断して行動する」ことだけだ。


他人にダメ出ししてる暇なんて無い。
ガバナビリティを当てにせず、冷静さを失った糾弾やデマをふるい分けて、自分の判断力を研ぎ澄ます。
そうして己に下した判断は、あくまで「自分にとっての最善」だと踏まえて行動する。

――他人に押しつけないってことだ。たとえ良かれと思っても。
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