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2020_05
27
(Wed)10:55

ここで終わりじゃない

緊急事態宣言が下げられた。
これは一区切りだ。
終わりじゃない。

誰もが等しく感染する/させるリスクを負いながら、
見えない脅威やそれに連なる自警団みたいな自粛ポリスから醸成されるきな臭い瘴気に巻かれながら、
多くの人々は恐るべき忍耐を以て自粛強要の地雷原を歩き抜けた。

もちろん犯罪に手を染めた者もいる、恐怖や不安から来る不当な怒りを無関係の他人にぶつけまくったアカンタレもいる。
それはそれで裁かれるべきだ。自裁であれ、法廷であれ。
決してリンチであってはならない。
どんな状況であったとしても、僕らは私的な根拠を振りかざして他人を裁くことはできないのだから。
誰かの個人的な正義で、誰かをジャッジしてはならない。
たとえどれほど「正論」だとしても、他人に押しつけた時点で何の説得力もなくなる。
――押しつけなければ伝わらない論なんて、ただの独善。

先ほど「恐るべき忍耐」と評したが、まさしくそうなのだ。
一部の人々にとっては過剰ですらあっただろう、耐え忍ぶ日常生活だった。
第二波、またそれ以降は当然襲い来る。どれほどのレベルか、また期間なのか。
何も分からないという点で、今春の時とさしたる差はない。
多少なり経験と教訓を得た、それを礎にして「この先の日常」を探るのだ。
これから先、冬のインフルのようにコロナと付き合っていく日常を生きるのだから。
インフルが冬に来るように、コロナもまた気まぐれに来る存在となるだろう。
嫌な隣人と仲良くせずともいいから「まあまあ上手く付き合っていく」力を養うように。

だからここで終わりじゃない。
めでたしめでたしも無いし、どっとはらいも無いし、もうええわも無い。
人々の忍耐力に過剰な期待をするべきじゃない。
今回は耐えられた「だけ」だ。
二度目はないし、二度目三度目以降も耐えられると勝手に当てにするもんじゃない。

「いつでも来いや!」なんて虚勢は到底張れない。
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  • 記録
2020_05
18
(Mon)13:32

無題

演劇カテゴリーで久しぶりに記事を書く。もうそんな機会は無いと思っていたんだけど。
同じ名前の別人だと思ってた、思いたかった。

【吹原幸太が永眠いたしました】

ポップンマッシュルームチキン野郎主宰の吹原さんが亡くなられたとの報。
突然のことだったようで、ツイッターよりもニュースサイトで先に見つけた。
37歳だったそうだ。
じゃあ、8年前はまだ20代で、うわあ…

嘘でしょう?って言葉がこういう状況で本当に出るなんて、考えてもなかった。
僕らの想像の範囲は、何て狭いんだろうね。

一度だけ現場でご一緒させて頂いた。
当時のことを振り返る野暮はしないけれど。


  • 演劇
2020_05
02
(Sat)14:17

需要ないのは解ってる、だから続けられる

コロナウイルスという危機の渦中にある世界は、のたうち回り抗いながらも変わろうとしている。

僕が少なからず驚いていることのひとつに「世界が変わろうとしている」がある。
偏狭と無知蒙昧に凝り固まった人間が上から下まで世界をくまなく澱ませて、見るべきものを隠している。
見られては都合が悪い、知られては困る者たちが、知ろうとする僕らをドブに沈めてきた。
変わりたくない、変わってはいけない、変わると既得権が失われる――
無条件に得てきた特権、当然のものとして他者を虐げるために正当化してきた悪習、何の根拠もなく継承されてきた無意味なレガシー。
様々なジャンルにおいて遺跡のように鎮座していたそれらの行使に「NO」を主張する流れが生じ、過去幾度も退けられてきた流れを広げようと助けの手を伸べる人々が現れた。

世界はもはや変わらない。ひたすら腐敗を極めるように滅亡に向かって一直線に暴走していくんだろうと断じていた僕にとって、数々の主張や思想の潮流、雨後の筍みたいに頭を出してくる文筆家(雑魚多数も含め)は、違和感として認識された。

異変や危機にあってこそ思想や主張は数多生まれる、とでも言うのだろうか。
そういう状況でないと、群衆は他人の意見なんぞ意に介さないという証拠なのだろう。
それはそれで人類のガッカリさの露呈でもある。
特別感はどーでもいいんだよ、日常の思考レベルのアベレージ上げろや。

ここまで書いて気が付いた。
僕は「祭り」が苦手なんだ。その時だけの限定的な高揚に侮蔑にも似た感情を抱いてしまう。
危機的状況とか、非日常に限った話じゃないことで、今ヒステリックに糾弾したり喚いたりの騒ぎが続いている。
普段の生活に根付いた「考える、思想を組み立てる、情報を潤沢に得る」ができてないから、いざという時慌ててしまうんだ。

「考える」ことができない人間に、この先を生きる力は備わらない。

僕らが今しんどい中でも知恵を絞って生きているのは、いま取りあえず生きていければ良いと思ってるからじゃない。
コロナ危機をいつかどうにか越えて、少しでも息をつけるようになった時。
僕らが知っていたかつての日常はもう無いだろう、きっとまったく違う日常が訪れるだろう。
その日常を生きる僕らであるために、いま、歯を食いしばっているんだ。
世界がアップデートされるならば、僕らもまたそれに倣うまでのことだけど、でも。

誰かによってアップデートされた世界に倣うよりは、自分がアップデートした世界で生きていたい。
僕にとっての自由とは、自分が構築した場で、思索を積み重ねて、己が手で動かし得ることだ。

世界で起きている変化に、自分が一端として繋がれるのか。
どうしてもそう信じられない。いつも言うけど「需要がない」から。
解りやすくもない、長文で読みづらい、意味不明w
…だからこそ、こうして書き続けてられるんだ。
無責任だろうか?否、相手に合わせて噛み砕くとかしないよ。そもそも噛み砕く必要を認めてないw
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