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2019_07
16
(Tue)15:28

僕は好奇心に勝てない

世界の外側――
僕が頻繁に言及するこの言葉が、具体的に何を指しているのか。
口にしながら僕自身が明確に見えるものとしては捉えられていないし、説明ができない。
地理的な意味ならば、この国の外なのだろうが、少なくともそれではない。
かと言って具体的な国名や地域が浮かばないのも事実だ。

ならばSF的な意味か?
平行宇宙やタイムマシンくらいしか想像できないけれど、
自分が生きている間にその技術はさすがに無理なんじゃないかと思うと、
信じたい一方で博打だと諦めるしかない。残念極まりない。
…まあ、マジでSF的手段で世界の外側に行けたら最高だけどな笑
失敗してももう嬉しくて許すレベル←

世界の内側――いまを生きる僕らが存在する社会、集団や団体、何等かの繋がりがある場。
人類の進化が様々なリスクを遠ざけた結果、内側は強靭な枠組に支えられて発展成熟を遂げた。
しかし枠組が時代にそぐわなくなり更新或いは大掛かりな工事を必要とする状況になっても、
内側で安心と権益を貪って来た者たちはそれらが減失することを恐れ、枠組へのいかなるメンテナンスをも拒み続けた。
その一方で枠組は歪に場当たり的な修繕を施され、気づけば融通も利かない、言わば内側の人間を締め上げる檻と化した。
人々にとって安心や快適を約束してきた枠組が、変化を拒む力や旧態依然を良しとする価値観を呑ませようとする暴力装置として機能するようになった結果、決められた枠組から逸脱する者を異端として断罪し排除する社会を作り出した。

変化のない場や集団は、いずれ腐敗する。誰かを恣意的な基準で裁いては追放し、意にかなう者だけを側近に据える。
何であれ集団や権力の中心にいる者の誤謬を指摘しない、無謬を疑わない、何も考えず追随するだけの木偶に囲まれていれば、どれほど賢明な者が中心にいても視界は濁り、己の都合だけが行動する動機になり果てる。
そこは、まさに「同じ考えを持つ者だけが集う世界」で、言ってしまえば「自分しか居ないコミュニティ」なのだ。
異質を、異者をことごとく排除した世界とは、人間が複数居ようが一人だろうが、自分しか居ない世界と同義だ。

こうなって来ると、社会学における「社会」の定義を再考する必要があるだろうが、
そもそも現代人が本当に「誰かと一緒にいる」ことを欲しているのか、必要としているのか。
常に誰かと繋がっていなければ生活ができないのか。
少なくとも今まで僕らの先祖あたりから連綿と営んできた、家族や学校や会社その他と言った、「誰かと一緒に居る」社会である必要があるのか否か。

上述した家庭、企業、学校等に共通するのは、固定的な集団であるということだ。
例えば地理的意味で言うなら、学校は一定期間その場所に通学する。
会社は転勤や転職があれば別だろうが、「〇〇社」に所属するという意味なら、場に固定されているとも言える。
家族や友人、また職場や個人の交友においては、特定の人物と固定的に関係を構築する。
固定した繋がりが一概に悪いものとも言えないし、人間がどうしても安定や盤石を他者との間に求めがちである以上、社会のスタンダードがそちらに寄るのも無理からぬことだ。
しかし、安定や盤石は、閉塞やしがらみと紙一重で僕らを雁字搦めにする。
「人は誰かと、何かと必ず繋がっていなければいけない」なんて、誰が決めた?
安定した、きちんとした繋がりでなければダメだなんて、誰が決めた?
繋がり方の基準なんて、それぞれが決めればいい。
それこそログイン、ログアウトと同じような感じで、自分が必要とするときに接続する/オフラインにする。
誰かと繋がるのは何のため?安心や快適や便利を求めるためだ。
繋がり方にケチつけられて、望まない繋がりや憂鬱なしがらみに苦しむためじゃない。

ほんと、このままじゃ、僕は世界の外側に出ていきたい気持ちをもう抑えられない。
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