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2020_05
02
(Sat)14:17

需要ないのは解ってる、だから続けられる

コロナウイルスという危機の渦中にある世界は、のたうち回り抗いながらも変わろうとしている。

僕が少なからず驚いていることのひとつに「世界が変わろうとしている」がある。
偏狭と無知蒙昧に凝り固まった人間が上から下まで世界をくまなく澱ませて、見るべきものを隠している。
見られては都合が悪い、知られては困る者たちが、知ろうとする僕らをドブに沈めてきた。
変わりたくない、変わってはいけない、変わると既得権が失われる――
無条件に得てきた特権、当然のものとして他者を虐げるために正当化してきた悪習、何の根拠もなく継承されてきた無意味なレガシー。
様々なジャンルにおいて遺跡のように鎮座していたそれらの行使に「NO」を主張する流れが生じ、過去幾度も退けられてきた流れを広げようと助けの手を伸べる人々が現れた。

世界はもはや変わらない。ひたすら腐敗を極めるように滅亡に向かって一直線に暴走していくんだろうと断じていた僕にとって、数々の主張や思想の潮流、雨後の筍みたいに頭を出してくる文筆家(雑魚多数も含め)は、違和感として認識された。

異変や危機にあってこそ思想や主張は数多生まれる、とでも言うのだろうか。
そういう状況でないと、群衆は他人の意見なんぞ意に介さないという証拠なのだろう。
それはそれで人類のガッカリさの露呈でもある。
特別感はどーでもいいんだよ、日常の思考レベルのアベレージ上げろや。

ここまで書いて気が付いた。
僕は「祭り」が苦手なんだ。その時だけの限定的な高揚に侮蔑にも似た感情を抱いてしまう。
危機的状況とか、非日常に限った話じゃないことで、今ヒステリックに糾弾したり喚いたりの騒ぎが続いている。
普段の生活に根付いた「考える、思想を組み立てる、情報を潤沢に得る」ができてないから、いざという時慌ててしまうんだ。

「考える」ことができない人間に、この先を生きる力は備わらない。

僕らが今しんどい中でも知恵を絞って生きているのは、いま取りあえず生きていければ良いと思ってるからじゃない。
コロナ危機をいつかどうにか越えて、少しでも息をつけるようになった時。
僕らが知っていたかつての日常はもう無いだろう、きっとまったく違う日常が訪れるだろう。
その日常を生きる僕らであるために、いま、歯を食いしばっているんだ。
世界がアップデートされるならば、僕らもまたそれに倣うまでのことだけど、でも。

誰かによってアップデートされた世界に倣うよりは、自分がアップデートした世界で生きていたい。
僕にとっての自由とは、自分が構築した場で、思索を積み重ねて、己が手で動かし得ることだ。

世界で起きている変化に、自分が一端として繋がれるのか。
どうしてもそう信じられない。いつも言うけど「需要がない」から。
解りやすくもない、長文で読みづらい、意味不明w
…だからこそ、こうして書き続けてられるんだ。
無責任だろうか?否、相手に合わせて噛み砕くとかしないよ。そもそも噛み砕く必要を認めてないw
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