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2016_02
27
(Sat)02:13

【ちょうがつく長文に挑戦】mo2あるいは中川奈美さん

先日4枚同時発売された音楽CD。
 mo2&Lumino-scope&吉山博海さんとの共同制作とは本当に魂消るってやつです。
おつかれmo2でございます、そして、こちらも魄こめて聴いております。

高ぶる感情のままに作品について または 中川奈美さんという表現者について

めっちゃ長文書いてみた(ドヤ

目が滑るどころではないので(書いた本人が目頭に痛みを訴えwww
皆さん本当に心に余裕と寛容が備わってる時、そして時間がたっぷりあるときに
読んでいただけますと、ちょりっとウレシス。

中川奈美さんの音楽について。恐れ多すぎるが、無意味な非難や讒言を放る訳ではないという旗幟のみ明示。
このたびmo2その他4枚アルバムを同時発売という驚異を成し遂げられたがその辺りのgeniusについても後述。
mo2においてはP兼キャストを務められているが、最近つとに感じるのは「ハツコの殻を破って奈美さんがはみ出てる」。
私はmo2結成当初からのマスターではないので、そんなん最初からだと言われるかもだけど、
mo2という集団において当初想像されていた変化の過程に加えて奈美さんの力が強い圧となり、
この変化に周囲の凡骨がどこまでついていけるのか。怖くもなる。
音楽の聞き手を蔑ろにしてるという意味ではなくむしろ逆で、
奈美さんが天賦の才や苛烈な気性を露わにしてもなおこちらへ添おうと心を配るほどに、
凡骨からは畏怖を生じさせるような、そういう恐れにも似た気持ちだ。

元々奈美さんは(推測で申し訳ないが)、聞き手には心から添おうと粉骨砕身するが、弟子門下に対しては基本的に放置だ。
来る者は拒まないが去る者を追いかけもしないし、ついてこない・これない者への眼差しは必要以上に甘くならない。
そうであることでしか、身につかないものが確かにあるけれど、それを理解して食いついてくる者を見出すことの困難を思うと、
彼女にはどうかもっとそのgeniusを歌うこと・歌をつくることに向けて欲しいし、
才能とは本来そういう用途のものだというところへ帰結する。

その才能は、mo2さえも食い破る。ような、予感がする。

今回mo2からは2枚のアルバムがリリース。
聴いた側から言わせれば、どんだけ吉山博海無双だと感嘆せざるを得ない。
奈美さんの歌唱や音楽にいちばん近く添うて、間違いなく世界を形作るひとりとして姿が見えるのは、吉山さんだけだ。
「スズキ」というかたちを取った、しかし吉山さんでしかないひと。
そして奈美さんもまた、この世界ではハツコの姿を取りながら、ガラスを砕き散らすような激しさや燃えゆく魂を剥き出しにして、
中川奈美として厳然として在る。

mo2アルバムのなかで、今回自分としてどうしても何も感想が浮かばなかった曲がある。
HUMによる奈美さん(ハツコ)の曲『惑星の欠片』。
ユニゾンでまとめてソロパートもほぼなく、4人か2人という編成。
ユニゾンであることも正直肩透かしだったが、2箇所ほど耳につらい歌い方の部分があって、
それのせいで評価的なものはできなかった。
酷い言い方をするなら「エチュード」だとも。
技術の問題ではなくて、曲がまったく4人の方へ添っていなかった。
この曲は、「奈美さんに忠誠を誓っている」のだろうとしか思えない。
HUMは、曲を従えることは、できていなかった(していなかった)
いずれにしても、華々しく世に生まれた『蜃気楼の闘牛士』のイメージをグレードアップした上で上書きしようとするには、
あまりに難しかった。
イメージ変更狙いの路線でないとしたら、じゃあ何故ハツコの曲を?という解けない疑問しかこの手には残らないのだ。

ハツコの曲は、ハツコにしか、手懐けられないものになっている。

これだけの才気、能力を持つひとの内側に恐ろしいほど苛烈な気性と燃えるような魂が同時に宿って、
小柄な身体を食い破りそうな勢いでさらに音楽は生まれ続け、限界などないかのように翔んでいく姿。
それを見上げるだけの凡骨は、才能など己の中にないことは理解していても、どこかで心がざわつくのだ。
極寒の中で皮膚をざくっとめくられているような、痛みより身も凍るほどの恐れが先に来るような、
不穏なのに待ち焦がれていた感覚で、見ていたいと願う。

――――
全曲解説したいくらいの勢いだけどそんなんしたら、何というか、無粋だし。
『氷夢』『as time goes by』について。

『氷夢』ハツコ曲。
ハツコのみと、ハツコ&スズキのふたりバージョン。
曲へ、より具体的に誰かを思い浮かべて気持ち添いたいなら、ふたりバージョンがキュンとするかな?
一歩間違うと情動に流れて気持ちの置き所に困りそうな、目を細めてひとりになりたくなる曲。
ふたりバージョンでは「~輪廻の恋」とサブが付け足されている。
マスターと、その内側で日々支えている、けれど見ることも声を伝えることもできない臓物少女の、
存在を知りながら出会えない恋。
氷の、夢。
いつか溶けてほどけて、夢叶うのかと問うても応えはないのだ。
凍てついた夢は誰も見つけてはくれない。
とけた夢は姿を消して存在を忘れられていく。
私は、そういうものだと思う。見出されることへの希望の無さ(ホープレス)からしか生まれない願いがある。
輪廻を信じようが、超がつくリアリストだろうが、願わないではいられないものがあるとしたら
「誰かと最後まで添うていたい、できれば次の扉を開ける時まで」だと思う。
孤独はこわい。ひとりなのが怖いんじゃなくて、最後の時にひとりでその世界を閉じることが怖いのだ。

それでもわたしはこの曲をひとりで聴きたい。耳にその声だけ満たして、枯れた灰色の冬空を見上げて、
視線の先に誰かを見つけたい。
「誰か」とは、見つけてもらうのを待ってても現れるものじゃない。
自分から出会いに行きたい。
望みのない孤高から日々生まれる力は、誰かに出会いたいという衝動だ。


『as time goes by』中川奈美&吉山博海。
今回いちばん心身を撃ち抜いた曲。まさしく撃たれて、撃たれて、最後まで聴かなければ逃げられるかも知れないのに、
途中でスイッチをオフにできずに。
壮厳なコーラスと、激しく胃の腑に叩き込まれる殴打のような音、そして響く銃声(?)の重なり合いか、交錯か。
それとも、鍔迫り合いからの終末か。
聞くたびに足がすくむ。背筋が文字通りぞくぞくする。
後ろから軍靴の音が肉薄しているのかと錯覚するほどに、
その音楽は、世界が終わりへ向かうためのゴーサインを出した瞬間をあぶり出す。
もちろん、奈美さんがそのような意図あるいは政治的人道的な示唆を含めてこの曲を作って世に送り出したかどうかは、判らない。
私の勝手な解釈でしかない。
この曲は、「終わり」の始まる場所と人々の動きを携えて視覚と聴覚に殴り込んでくる。

コーラスが響く場所。祈るひとたち。
その歌声に重ねて、そして音量を増して、蹂躙する勢いで、殴打の音が鳴らされる。
祈りはどこまで届くのか。祈りの声は何のため、誰に有効なの?世界が壊れ崩れていくのを止められる?
殴打とその影で鳴る不穏な響きにも、コーラスは崩れることなく、誇らしく歌われ続ける。
神様に捧げられる歌とはかくも強い、そういうことか?

最後の最後、その瞬間を焦らしているように数拍持たせた末に銃声が背後から身を裂く。
終末という解釈上、どうしてもあの忌まわしい音が、卑怯にも背後から撃たれたようにしか聞こえないのだ。

絶望の歌ではないのだ。だって祈りは続く。コーラスは絶えない。
解っていても、銃声が近くなるにつれて怖くなるのだ。
逃げられもしないのに、無力を決め込んで怖がる特権だけ貪る私を、無言で見下ろす。
世界とは、誰もが構成要員だ。そこで起こる全てには誰もがそれなりの形で関係している。
何の力もないので何もできません、なんて有り得ない言い訳だ。

だからこの歌に内在するもの(まだ正体すらつかめてないけど)を、信じたい。
自分にも、隣にいる誰かにも、何が起ころうと絶える事なく連綿と根付いている力の伏流はある。

―――――

なげえ(ノ∀`)
すいませ…!

取り急ぎこんな感じです。まだ興奮で呼吸乱しつつ聞く日々ですが、
この音楽を生み出して、歌うひとに出会わせてくれたひとたちに心からの感謝。
どうか彼女の苛烈な気性と稀有な才能と燃えるような魂が、これからも高く翔ぶことを。













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