FC2ブログ
2016_08
30
(Tue)01:18

かんどうぽるのというよりも

むしろ感動オナニーなんじゃねーの
言葉がアレだから口にしにくいのか、オナニーだと認めるのが嫌なのか
どっちにしても
感動ビジネスがアリかナシかなんて二分法で延々争い続けるのも
たいがい不毛でしかない。
作り手にもならないし作り手にネタ提供もしないけど
(可能か否かは不明)
「社会的な弱者」の種類が何であれ、
障害者や困窮者は、
健常者の感動(という名の自己満足)補給の為のショーに駆り出されてる見世物のネタ。

恵まれない子供に愛の手をと募金を求める人たちは
「恵まれない子供」の存在を確認したことなどないだろうし、
「恵まれない」立場に居ないでいられる己を確認して安堵してるだけ。

障害者でなく他のもの(貧困や孤児、戦争等)を
感動の題材として取り上げるのもほぼ同じで、
「社会的弱者・困ってる人や可哀想な人」の姿に感動できる自分は意識高い!
慈愛の心を持てる自分は人間出来てる!と思いたいだけ。

…どう見ても自己欲求満たしたくてTV観ながらシコってる絵面しか浮かばん
視聴者は「こういう意識高い・弱者への慈愛あふるるチャリティ番組で感動をありがとうと涙流す」ためにシコる
作り手は「弱者や困窮に着目してるうちらカッコイイ!暗いテーマに敢えて挑む自分たちすげー!」と思いたいだけ。

何よりガンガン感じ取れるのは
「こういうものを見て感動する/作れる自分たちなのだから、差別感情なんて持ってません」
という喘ぎ声にも似たおぞましさ。

およそ生きてる人間の中に、差別感情持たない人なんていません

いい悪いではない。以前もこのブログで書いたけど、
人間は生まれて成長する各段階で「自分以外に人間がいる」事を認識した時から
無意識にその人たちと自分を区別する。どこが違うのか、どこが似てるのか。
―どこが自分より劣っているか、優れているか。
「区別」という作業から「差別」が発せられる以上、
そして人間の成長や原始的欲求としての
『ほかの人よりも上へ、いいところへ』という欲望がある以上、
差別感情は当たり前に生まれるし存在する。
人間に出来る事は、差別感情を持たない事じゃなくて、
制御することでしかない。
人前では態度に出さないとか、口にしないとか、他の物に変化させる(一種の昇華だね)

差別感情は醜い、汚らしい、それはちょっとだけ事実を言い当てているかも知れない。
でも、「持っていてはいけない感情」として処理対応は出来ないし、するものじゃない。

汚いもの、醜いもの、持っている事が露見すると社会的に責められる感情ではあるのかも知れない
でも、「ないもの」には出来ない。
蓋をして、「そんなものはありません・持っていません」と隠蔽するから、
持っていることを露呈された人間をボコボコに叩くことになる。
おかしいでしょ?

持っていることを知っている者同士が何故叩き合う?
差別感情は消えない、できるのはコントロールすることだけなのに、
お互いに赤点テストの答案をどう隠蔽しようかと思ってる者同士が
「おまえ、何テスト隠してんだよ!」と争っても
赤点テストを互いにひらいてみたら、多分、点数が違うくらいのことでしかない。

私たち差別なんかしません!障害者にもあたたかい思いやりを持ってます!
などと、うわ言垂れなくっていいのです。
障害のある・ない、困ってる・困ってない、生活苦しい・そうでもない
無数の区分のなかにいる 無数の種類の私たち(多元宇宙的)

理解しなくってもいい
ただ、有ることを、存在することを「あたりまえ」で扱っていてくれれば、いいんです。



スポンサーサイト