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2017_03
26
(Sun)20:35

時をかける稽古場、の中途風景

アガリスクエンターテイメント駅前劇場進出公演
東京公演が後3公演というのが何故か信じられないくらい、
あっという間の『時をかける稽古場2.0』@下北沢駅前劇場

2回観ただけの一介の観客に過ぎない僕が、
「あっという間」などとアホな感傷に浸るのも相当変だけど、
どこかで【TVのチャンネルを合わせれば観られる】ような親しさに似たものが有ったのは事実。

お気軽お手軽な公演と言う意味では断じてない。
TV=非現実を映す として、ならば「想像の友達」に会いにいくように、
稽古場で右往左往したり顔色変えたり叫んだり時をかけたりする
「あの頃の、今、そしてこれからを往く彼ら」を見つめていたくなってしまったのだ。

…取り急ぎ2回目(3/24)観た時点でのぼんやり呟きをざくっとまとめたり。
2回目は思い切って前2列目に着席。駅前劇場は後ろに座ると本当に見えない・゜・(ノД`)・゜・
それでもなお、上手側で芝居していた冒頭の塩原さん、さいとう篤史さんは姿が見えず
声だけで「淺越さんそういうの書かないっしょ」(アツシ)
「狂ってるでしょ」(シオバラ)
コレがどこからか聞こえてくるっていうね。

後半はもう全員目まぐるしく動き回るし時空を越えて突っ込むし、
アサコシさんがホワイトボードをガガガっと引いて来た時は

「キタ━(゚∀゚)━!」←まさにこの顔

前列に座ってたおかげでアサコシ先生(?)の講義と屁理屈タイムが至近で観れて
面白さと脱力を初日の数倍マシで堪能。
フリータイム屁理屈に入った時の淺越さん、
目がすっごく輝いてるしもはや踊り出しそうな躍動感…
…コレ、かっこいいし。
何だコレカッコよすぎて理不尽に悔しくなる。
淺越さんがモリエンテスラジオで口角泡を飛ばさんばかりに言葉を振るっていたのも、
ラジオの公開収録で楽しいことこの上ない表情を輝かせて語ってたのも、
全部全部、舞台での、前哨戦じゃないかって

思ってしまうんだ。
(当然といや、当然だけど)

時かけ2.0の大きな変更として「回避したい災厄」の扱いがある。
初演は持て余す程の咎めるニュアンスがあった。
だからこそ初演での客演女優(クマガイ)には時を経ても「取り返して改変」を望む気持ちが強く出ていた訳だ。
2.0では明確に「災厄は災厄だが罪じゃない」となり、むしろ希望の種として携えられる。

―災厄も笑って小脇に抱えて行く、希望へ向かって行けるように。
だって未来を知ったからと言って、未来どおりに行動する理由があるか?―

「否!」←(今年の流行語大賞ノミネート)

つまり回避したい災厄に対して2.0上を行く手を示している。
なら他にも回避可能な災厄があるってことだ。

他にも回避可能な災厄、と考えて、即「病的な遅筆」を想像したけど、
これを回避できるならそもそも物語の大前提を全宇宙レベルで否定することになる。

それにこの話は淺越さんの物語だ。
「書く人の傍で見てきた」人からの物語だと思うのだ。
他の人たちを無視するとかではなく、理屈でもなく、そう思う。

無論これは壮大なカンチガイだろうし、
誤読名人の僕だから舞台上で屁理屈キメるひとに着目しがちなんだろうとも思う。
ブログの前記事あたりで僕は
「冨坂さんというフィルターを通して淺越さんが見てきた、アガリスクエンターテイメントの物語だ」
と言う表現をしたけれど、より精度を上げて考えると

冨坂さんというフィルターを通した淺越さん

淺越さんという(作演/主宰アサコシと言う役)を通して描いた冨坂さん

ふたりの視点が時をかけるように「入れ替わる」形で描かれた物語なんだろうと思う。
…この考えも、また更新したりするかも知れない。


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