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2017_06
16
(Fri)00:54

何か他の

ヤーハー!2ヶ月ブログ書いてなかった!
広告どうにかしないとーと思うだけの日々がだらだら惰性で流れ去り
そんな怠惰のカタマリである僕は何てこったい急性虫垂炎で搬送され
翌朝手術、さらに翌日午後に退院というスピード勝負かよってな
手術初体験を終えたとさ。

いろいろノートに記録したり、あちこちドアを叩いてみたり
辞めてみたり、あきらめてみたり
つまりプラマイゼロならぬマイマイくらいの結果を出す機械になっていた。

以前に増して他人と会うことを避け、
友人知人とはこちらから決して連絡取らず
(無論、向こうからのアクションは見ないふり)
30年前なら間違いなく「偏屈」と忌まれてもしょうがなかっただろう。
そして僕はその呼称をグロリアスと感じたことだろう。
無職1周年を華麗に過ぎて
心底、「偏屈」になったと自身で感じる。望んだように。

所謂「支援」と呼ばれる各種のセーフティネットの網の目からするっと落っこちて、
誰かに支援される形でのサルベージ、つまりこの社会へ繋がることへの拒否が明白になった
「支援」は多数の人々が必要とするもので、人々の困窮の種類や度合いによって
色々バリエーションがある方が望ましいんだろう

僕にはどの形の「支援」も合わなかった。
でも他人がそれを聞いたなら「そんな我が儘言うなんて贅沢だし勝手過ぎる」と眉を顰めることだろう。

「支援してやると我々健常者が言ってやってるのに」

僕は要らないよ。「お恵み」のようなそれは。「お恵み」をもらえたところで感謝の心など全くわかないし、
それで結局「お恵み」をくれてやったのに感謝しない僕に貴方たちは立腹するのだろ?
そんな不毛な流れは要らない。

「支援」が必要だとして
その在りようは絶対に「健常者が障害者に対して許可し恵んで施す」性質のものであってはならない。
僕らは許可されてこの社会に生きている存在じゃない。
認められないと生きていちゃいけない存在じゃない。
認めることも許すことも恩恵を施すことも、同じ「ただの人間」である貴方たちから僕らへと送られるならば、
それは単に有り難くない迷惑なだけの土産物を押し付けられて、
感謝して恩義を生涯表現し続けろと強制されるようなものだ。

「支援」は完璧になり得ないけれど、だからこそ個々人に最大限フィットした、
セミオーダーの洋服くらいの位置であるべきだ。
オーダー、という部分がとても肝なのだけど
ここを満たすには
「まず貴方たちの社会を構成するデザイン、規則、マナー、倫理、行政、これらに
僕らを合わせようとしないこと」
「僕らにとって居心地がよく快適安全安心で過ごせる社会デザイン(以下略)を
採用するべきだ、少なくとも提議して討論するべきだ」

この社会は、当たり前のように健常者が快適便利に過ごせるデザインや規則で構成されている。
その事実を、当の健常者が忘れている。てか考えたこと、ないでしょ?
言わば貴方たちが一方的に「これが便利、これが妥当」と定めただけの暫定的にすぎない諸々を
錦旗のごとく振りかざし
「この社会に居住している、土地に一時的でも滞在している」というだけでがんじがらめに縛っている。
ローマに入ったらローマに従えというやつだ。

一体いつの時代の話だよ、それ?
今やローマにも多数の観光客が来る、多くの市民が入れ替り立ち替わりで暮らしている。
「ルールを制定するためのルール」が永久不滅なんて、有り得ない。











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