FC2ブログ
2018_04
29
(Sun)00:50

妥結は賢明だが

ネット上には多数のブログがあって、発達障害の当事者によるものも多い
20世紀末に散見された所謂「闘病記」的な、
言ってしまえば日記の体裁をとるものは減った
ぐっと増えているのは、日記を超越した「自分の経験から生まれた生活術のまとめ記事」

Webライターとして精力的に啓発・ライフハック等の具体的な情報を発信し、
SNSやツイッター等では他の当事者と情報交換したり、同業の士としてリアルな交流を
展開していたりもする。
同じ発達勢なのに、あの行動力や積極性は真似できる気がしない。

彼らの書く記事は有用だし、文章構成も分かりやすく、つまり読みやすい
何よりも、彼らの綴る文章からは、明確に「この社会で生きていく」意志が伝わってくる。
決定的な差異はそこだ。

窮屈でめんどくさく、己の特性を理解されないしんどさや余計な手間だらけのこの社会で、
彼らは「でも、生きていく」と決めているのだ。
翻って僕は、
「この社会は生きる価値が無い」と結論が出ている。
じゃあ何で生きてるのか、と問われれば
「自分で死ぬのももはや面倒」だからだ。

過去に×回くらい(もう回数も忘れた)試した当事者としては、
「自分で死ぬのは意外と大変」と身に染みて知っている。
回数が増えるほど、当然ながら大変さのハードルも上がる。

あと、ヤッカミと思われるのを覚悟で言うが、
ブロガー発達勢の皆さんは、総じて
「物分かりがいい」
「何だかんだ言っても、社会に適応できている」
「社会や健常者と妥結の道を探す努力を惜しまない」

つまり、折り合えるんだよな。
自分たちの特性や困りごとを理解しない、配慮しない、隙あらば排斥しようとする社会と。
妥結は確かに、生きる上では賢明かつ現実的な手法だけど、
僕はそういうのを見るたびに内心
(そんなに健常者と折り合えるくらい、物分かりがいいと言うのもなー)
(いま生きるための妥結は確かに賢明だけど、結果的に根本的解決を遠ざける気がする)
と忸怩たるものがある。


スポンサーサイト