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2019_02
20
(Wed)22:31

いざさらば―『after塩原junction』

after塩原junction公式サイト
2月19日、イズモギャラリーにて。
アガリスクエンターテイメント(休団中)塩原俊之さんの単独興行『AFTER塩原JUNCTION』千秋楽観劇。
塩原さんというと、個人的印象として「アガリスクの長兄」「みんなのお兄ちゃん」感が強い。
干支が1周するくらい年齢差がある僕が塩原さんを「お兄ちゃん」と例えるのは変なんだけど。
例えば兄弟が「お兄ちゃん」にどれだけギリギリまで追い込まれても、困惑やら翻弄やらで振り回されても、
最後の最後は後ろに居てくれるだろうと感じるような、そういう確信を抱けるような。
つまり「後ろで見ててやるからちゃんと戦えよ」と声かけしてくれる「お兄ちゃん」。
言葉と理屈で断崖の縁ギリギリを攻めていくし、フットワーク軽いし
エクストリームとアルティメットを併せのみながら奔放に駆けていくけれど、
それはたぶん心の奥底に盤石たり得る部分が強く在るからだと思っている。
不安定なだけだったら、自由奔放に動くことなど叶わない。

――無論これは個人の勝手な想像に過ぎない。偶像を押しつける意図はないけどそう思われても仕方ない。
この記事がご本人の目に触れるか否かは知らないが、
直接申し上げることは無いのでご容赦頂けたらと、これまた勝手に願っている。

『天気予報を見ない派』
会話の根底にひそむ不安や恐れ。
多少なり関心ある他者に嫌われたくない、拒否されたくない――その種の恐れを僕は知らない。
祐介と木下の会話―アレはもう徹頭徹尾「消耗するだけの心理戦」としか思えなかったし、
特に木下の話法にイライラしっぱなしだった(笑
何故ならその話法の底に、根の深い怯えを感じたし、
腹を探ろうと伸ばした手すら中途で引っ込める半端さに苛立ちを禁じえなかったから。
半端なことすんな。やるのかやらないのか、どっちか貫けよ。
どちらも選べないのなら、もうその話法棄てろ。
しかしこのお話全体が祐介の脳内会話で、木下の墓前で行われてると仮定したら、闇が深い…
(※そういう設定では全くないです)
お話自体は嫌いじゃない。つかんだと思ったら指からすり抜けるような不確かさは素敵だと思う。
でも、心理戦が嫌い+他人からの否定を過剰に恐れる人に優しく出来ない体質なので、
総論として「メルヘン」。
あと、本作は初見だったので知らなかった自分が悪いんだけど、
暗転なげえ!!もうちょっとでパニック起こしそうだった!!
心臓がドドドドドってうるさく鳴って辛かったし、後半部分はちゃんと観れなかった…

『いまこそわかれめ』
高校生あるある感、なのかな。高校時代がはるか彼方に過ぎ去った者にとっては最早おとぎ話状態で観る感じ。
そんなに広い場ではないから、ことさら声を張らなくても十分に届くと思ったけど、
諏訪役の女優さんが結構通る声のかたで、まあまあ声を張るもんだから俺はしんどかった…
(すいません聴覚過敏なので些細な音が全身に刺さるんです)

桐場は卒業しなきゃ、と、何だか子供じみた切実さを込めて「先」へ進む意思をあらわす。
年に1回くらいいいじゃん?ちょっとばかり振り返るのも悪くないんじゃない?
それも「卒業」の名のもとに捨てていく。
僕自身は卒業に限らず、人生の様々な区切りをキッカケにしてはいろんなものを捨てて来た。
最多「捨て」は人間関係やそれに連なる縁。
人間関係を棄ててしまえば、他のものを棄てるよりはるかに荷が楽になり、身軽になって「次」へ行ける。
振り返るのも立ち止まるのも思い出すのも、僕にとっては忌避すべきものだ。
演劇に限らず「卒業もの」は人の心を甘酸っぱく震わせるんだろうか(笑
学校生活がほぼ忘却の彼方(校歌や同級生の名前とか含め)な流浪の民にとって、
「いまこそわかれめ」はいつだって傍にある近しきものだ。

『笑の太字』
塩原×淺越ペア。
生きてるうちにこの組み合わせで再演実現されたのが心底…!!!
「生きてるうちに」って大げさでなくだよ。特段大きな病気を持っているわけでなくても、
年齢や自分の身体的仕様を考えると、本気でいつ別の平行宇宙から赤紙()が来るか分かんないから。
アガリスクが他人の上演をちゃんと認めてくれていることの有難さ、
自団体の作品を真っ当に育てる土壌を持っていることのすばらしさ。
こんなに健やかで、ひねくれてて、「大嫌い大嫌い大嫌い大好き」な団体を僕は知らない。

……すいません、『笑の太字』についてはまた別の記事にします…orz
文字数がヤバい…笑
ともあれ、AFTER塩原JUNCTION@イズモギャラリー無事終演、お疲れさまでした。
#塩原jct
(このタグってツイッターのだよなあ…)
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